【社会人野球の“20年マネジャー”後編】マネジャー業に「ゴールはない」 日本新薬・小西伸幸

[ 2026年1月29日 09:00 ]

今年でマネジャー一筋20年目を迎えた日本新薬・小西伸幸チーフマネジャー
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 社会人野球の日本新薬に10年選手ならぬ、超異例の“20年マネジャー”がいる。2007年1月からチーム運営に携わる小西伸幸チーフマネジャー(46)だ。今年で、その道20年目を迎えた裏方の、これまでの歩みや仕事への取り組み方にスポットライトを当て、紹介する。前後編の後編。(惟任 貴信)

 「任期は平均5年前後」と言われる社会人野球のマネジャーとして、キャリア20年目を迎えた小西が考える「社会人野球のマネジャー」とは――。「チームの顔だと思っています」。理由も明確だ。「来賓、来客があったとき、最初にあいさつをして、名刺交換をするのがマネジャー。マネジャーの第一声、態度、雰囲気、顔つき、それでチームの雰囲気は決まりますから」。常にその身に社名を背負い、日々の言動に心を配る。

 仕事内容は「チームを円滑に運営することです」。ひと言に凝縮したが、その中身は多種多様だ。たとえばチームの予算編成では毎年の予算案を出し、会社側との交渉役も務める。大会出場や合宿の際には、新幹線、宿泊施設、食事準備など全ての手配をする。前年11月には翌年に出場を予定するJABA大会が決まり、その大会日程や都市対抗予選から逆算してオープン戦や強化練習の実施時期の叩き台も作成する。監督、コーチに提案して時期を確定させると、次は対戦希望相手に連絡を入れて予定を組む。マネジャーが動かなければ、チームは動かないのだ。

 チーム運営以外にも仕事はある。「地域の方々から応援されるチームになるために、近隣清掃活動や野球教室など社会貢献活動の企画提案や、その他、獲得希望選手との交渉、資料作成なんかもやりますね」。獲得希望選手との折衝では、スカウトが目を付けた選手を、監督、コーチが見に行き、獲得に乗り出すことを決めた後に出番が回ってくる。監督に同行して獲得希望選手と面談し、会社と野球部の説明をする。その際の資料も、もちろんマネジャーが作成する。加えて渉外担当として連盟の大会運営も担う。自チームだけでなく、社の垣根を越えた役割も果たす。やらないのは、グラウンド内での指導だけだ。

 「要するにグラウンド外のことは、すべて仕事です」

 持論は「マネジャーの仕事に100%はない。ゴールはない」。工夫しようと思えば、名簿一つ作成するだけでも「やれることがあるんです」。一方で、何事も「もうこれでいい。前と同じでいい」と思ってしまえば、そこで仕事は終わり。つまり年数を重ね、経験を積み、視野が広がるごとに、皮肉にも仕事量が増えてしまうのが、マネジャーという職業なのだ。「本当にやろうと思ったら、いくらでもやることはあります」。そこに、やり甲斐を見いだすことが醍醐味とも言える。目標とするチームは「監督を胴上げしたいと選手全員が言えるチーム」だ。

 「マネジャー目線から、そんなチームが勝負強いと思う。チーム一丸ってそういうことだと思います」

 好きな言葉は「何とかなる」。何もせず開き直る…という意味ではない。事前準備をやり尽くした上で、使う言葉と認識している。「何もしなければ何ともならない。自分の中で、何が起こっても対応できると思えるから“何とかなる”という言葉が出る。その言葉を使おうと思ったら、万全の準備をしていないと使えないからです」。準備の重要性を、自らに言い聞かせるための言葉でもある。

 地道に仕事を積み重ね、いつの間にか20年目に入った。それでも初心は忘れない。「今でも年末年始以外は毎日、気が張っていますね。だからあまり体調を崩さないのかなと。体調を崩しても1日で治します」。チームの核とも言えるポジションを長年、託されているのは、会社、チームからの信頼の証に違いない。その期待に応えるべく、「今でも毎日が勉強だと思っています。“日々勉強”。だから、忙しくてもあまり苦になりません。いつまでも日々勉強、アップデートしていきたいと思っています」と前を向く。

 過去19年間の一番の宝は「“人脈”です。それが全て。お金に代えられない」と言葉に力をこめ、続ける。「自分一人では20年もマネジャーはできていません。会社の方々、他企業のマネジャー、連盟の方々、日本新薬を応援くださる方々から、いろいろ教わり、勉強させていただいたからここまで続けてこれた。だから、今まで出会ってきた方々すべてが財産です」

 かつてマネジャー就任当初の部員数は選手22~23人で、スタッフを入れても全員で27~28人しかいなかった。それが今は選手29人、スタッフ11人の計40人という所帯になった。10年ほど前には会社に隣接する練習用グラウンドと室内練習場も設置された。「日本新薬をここまでのチームに育てられたのは、前川重信会長のおかげだと思っています。野球を仕事にさせてもらって、会社から野球道具を配給していただき、大会・遠征にも行かせてもらっています」。そんな会社や、職場の上司、同僚たちのバックアップに応えるためにも、常に都市対抗出場を目標に掲げ、日々の業務に励む。

 人に恵まれ、走り続けてこられた。だが一方で、最も身近な人たちに寂しい思いもさせている自覚がある。家族だ。普段はチームの練習・試合に帯同し、チームが休日でも大会運営や会議で予定が埋まる。たまに家族で出かけても、野球部のスケジュール手帳と携帯電話を肌身離さずに持ち歩き、団らんの時間に水を差すことも少なくなかった。家族の理解なしに、今の小西はいない。「いつか嫁さん孝行、家族孝行はしたいですね」。そう話すが、その予定だけは、まだマネジメントできないでいる。必要とされる限り、チームに尽くすと決めているからだ。(終わり)

 ◇小西 伸幸(こにし・のぶゆき)1980年(昭55)2月21日、兵庫県加古郡稲美町出身。稲美中では軟式野球部に所属。東播磨高では1年秋からベンチ入りし、2年秋からエース。3年夏は県大会初戦敗退。天理大では3年秋、4年春に最優秀投手賞を獲得するなど阪神大学野球リーグ通算20勝。02年に日本新薬に入社。07年からマネジャー転身。所属は総務部野球活動推進室。右投げ右打ち。

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