【駒田徳広 我が道8】泣きながらお願いした巨人入り 親父は「うん」とだけ答えてくれた

[ 2026年5月8日 07:00 ]

自宅で巨人・伊藤菊雄スカウト(右)の交渉を受ける(左から母・治子、父・勝美)
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 親は妥協しながら子供を育てる。もっと賢い子かと思っていたら、あんまり賢くなかった。勉強できなかったとかね。「こんなこともできないのか」と思いながら育てる。

 私は小さい時からずっと親父に「大学に行くんだぞ」と言われて18歳まで育ててもらった。期待通りにならなかったことが多かったと思う。そして今、大人になる前の最後の段階で、大学に行くのをやめて巨人に入りたいと思っている。

 でも、親父には言えない。母に胸の内を伝えた。泣いたり笑ったりしながら「お父ちゃんに最後まで妥協させるようなことは言えないよ」と話したら、母はこう言ってくれた。

 「あんたはどうやねん。巨人に行きたいんやろ。じゃあそれでええやない」

 それでも延々と「お父ちゃんには言えない」と尻込みしていたが、母が私の気持ちを親父に伝えてくれた。その上で、最終的には泣きながら自分で「巨人に行かせてください」とお願いした。親父は「うん」とだけ答えてくれた。

 ドラフト2日後の11月28日に三宅町の自宅に伊藤菊雄スカウトをお迎えして交渉開始。12月3日に入団が決まった。親父は集まった報道陣に「巨人さんに安心して息子を預けます」とコメントしていた。

 正式契約は後日、東京・大手町の読売新聞本社で行われた。契約金3000万円を前にしてサインした親父は「子供を売ったみたいな気持ちで、なんか寂しい思いがしたなあ。凄く緊張したしなあ」と微妙な心境を話してくれた。

 駒田家は家族して神経が細やか。むちゃくちゃな割には、そうなのだ。誰も言ってくれないから、自分で書いておく。

 明けて1981年(昭56)1月、ジャイアンツ寮に入り、13日に多摩川で合同自主トレが始まった。初日から凄いランニング量。いきなりこんな練習したら死んじゃうよと思った。打撃練習が始まれば、打たせてくれるのだが、どうやら投手の練習をさせられているらしい。

 ドラフト会議では、司会のパンチョ伊東(一雄)さんに「投手」と言われたが、投手として入ったつもりはない。桜井商3年時はエースで4番だったが、巨人では投手でやるとも野手でやるとも決まっていない。自分としては野手でやりたいと思っていた。

 それなのにブルペンにも入らされた。ボールを受けてくれたのは初日が2軍守備コーチの上田武司さん。2日目は2軍用具係兼バスの運転手、自衛隊から巨人に入った村田彰さん。こちらは左利きだ。右手に一塁ミットをはめて「さあ来い!」と言われても、力が入らなかった。草野球じゃないんだから。

 親父にはなかなか言い出せなかったが、2軍投手コーチの木戸美摸(よしのり)さんには素直に気持ちを伝えられた。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。 

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