【内田雅也の広角追球】甲子園球場で拝む初日の出に思う「不易流行」 タイガースと高校野球の「変革」

[ 2026年1月1日 08:24 ]

初日の出を迎える甲子園球場(1日午前7時16分撮影)
Photo By スポニチ

 甲子園球場に初日の出が上がった。三塁アルプススタンド後方に黄金色に輝く光が見えた。元日、午前7時12分、2026年の御来光である。

 薄暗かったグラウンドに光が満ちてくる。黒土が、緑の芝がオレンジ色に輝きはじめた。マウンドにはいつものように、阪神園芸が飾った、しめ縄が立っていた。淑気(しゅくき)が満ちていた。

 その光景は100年を超えて変わらぬように見える。甲子園球場が開場式を迎える1924(大正13)年8月1日早朝、阪神電鉄トップの三崎省三はスタンド上段から日の出を見つめた。三崎の四男・悦治(筆名・舞坂悦治)が書いた小説『甲子(こうし)の歳』にある。
<大気は清らかに澄んでいた。新しい野球場は大きな黄金の珠玉となって、大地に光り輝いて見えた>。

 昔も今も変わらぬたたずまいは大切にしたい。ただし、昔から姿を変えてきているのもまた確かである。今もオフシーズンを利用して銀傘拡張工事を進めている。2028年春にはアルプススタンドも覆う「大銀傘」がお目見えする。阪神電鉄や甲子園球場はコンセプトとして「新たな歴史のための進化」をうたっている。

 甲子園球場を「聖地」とする高校野球で、地球温暖化による夏の暑熱対策がある。戦前の「大鉄傘」は日照りや雨降りをしのぐ屋根として機能し、多くの人びとに喜ばれた。今は熱中症など命にかかわるほどの猛暑・酷暑から人びとを助けようとしている。

 昨年11月28日、日本高校野球連盟の「高校野球・甲子園塾」の座学で「Change,or Die(変革か、死か)」といった話が出た。高野連関係者が「マネジメントの父」ピーター・ドラッカーの言葉を引用して、集まった指導者たちに危機感を訴えた。野球人口の減少はとどまらず、暑熱対策も待ったなしである。「高校野球を未来につなげていくために、今、どうすべきなのか」

 今春から指名打者(DH)制を採用する。ただ、導入が前向き検討される7回制には反対である。昨年、高野連が募ったアンケートでも書いて送った。一つは記録の問題だ。大リーグで大谷翔平が100年前のベーブ・ルースと比肩して語られるのは同じ9回制の下でプレーしているからではないか。阿久悠作詞の選抜大会歌『今ありて』で<踏みしめる土の饒舌(じょうぜつ) 幾万の人の思い出>と歌われる夢やロマンは、歴史が土台にあってこそである。この件はまた書いていきたい。

 甲子園球場を本拠地とする阪神タイガースは昨年、球団創設90周年をリーグ優勝で飾った。今度は大きな節目となる100周年に向けてスタートを切る1年となる。

 球団初の連覇に向け、変化を恐れていない。監督・藤川球児はレギュラーを決めてかからず、昨年のチームを一度壊して、新たに作りあげる方針を示している。

 現状維持は退歩だという。環境が変化する中で立ち止まることは相対的に後退することになる。福沢諭吉は『学問のすすめ』で<進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む>と、変化を恐れず常に学び、前進し続けることの重要性を説いている。

 野球にも甲子園球場にも、昔も今も変わらないという美しさがある。ここは「甲子園塾」でも語られた「不易流行」でいきたい。いつまでも変わらない本質(不易)を保ちつつ、時代に合わせて変化(流行)を取り入れていく。

 先に書いた『甲子の歳』で、三崎は世界水準の球場完成に日本という国の将来を託し、祈っている。今、初日の出を拝みながら、野球界のより良き変革を祈った。=敬称略=(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。85年4月のスポニチ入社から野球記者一筋。大阪本社発行紙面で2007年4月から続くコラム『内田雅也の追球』は20年目を迎える。甲子園球場で初日の出を拝むのは2013年から14年連続。 

続きを表示

この記事のフォト

「大谷翔平」特集記事

「始球式」特集記事

野球の2026年1月1日のニュース