阪神・津田淳哉 亡き恩師・高代さんに“恩返し”プロ初勝利球を 「考えて野球しろ」教えを胸に

[ 2025年12月12日 05:15 ]

タスキを受けて駆け出す阪神の津田(右)(撮影・平嶋 理子) 
Photo By スポニチ

 阪神・津田淳哉投手(24)が11日、大阪府堺市内で関西テレビの年末特番「アスリート×芸能人ガチバトルSP」(12月31日午後4時~5時45分、関西ローカル)の収録に参加し、9日に71歳で亡くなった大経大時代の恩師・高代延博さんをしのんだ。4年時にエースと監督として共闘。薫陶を受けた師匠の墓前へ、来季こそプロ初勝利のウイニングボールをささげることを誓った。

 津田が高代さんと最後に会ったのは、今月上旬だった。「体の具合が悪くなっている、という連絡はもらっていた」。恩師の死期が迫っていると伝え聞き、病室のドアをノックした。病名は「食道胃接合部がん」。病魔と闘い、懸命に生きようとする高代さんの姿が、そこにはあった。

 再会から約1週間後の9日、高代さんは静かに天国へ旅立った。直接、別れの言葉も伝えたのだろう。神妙な面持ちで「最後、本当に会えて良かった」と語った右腕。今も心に刻みつけられた教えに思いをはせた。

 「“とにかく走れ”“考えて野球しろ”と言われてきた。ガムシャラに速い球ばかり投げるのではなく、打者を見て、頭を使って野球をしろ、と。これからの人生、しっかりと考えながら野球をしないといけないと思う」

 高代さんが外部コーチだった大経大2年時に出会い、4年時には監督とエースの立場で日本一を目指した。指揮官の卓越した指導力と、津田の徹底した筋力トレーニングや走り込みが結実し、同秋には防御率1・29で関西六大学野球リーグの最優秀防御率賞を獲得した。大学ラストイヤーでの飛躍が、タテジマへと直結。「阪神・津田淳哉」は、高代さんの存在なくして誕生しなかった。

 「1、2年目と1軍で投げていないので、来年は1軍で投げて、勝つことが高代監督への恩返しだと思う。1軍で活躍している姿は、必ず(天国から)見てくれていると思うので、結果を出したい」

 来季は大卒3年目。「右のリリーバー」を探す藤川監督から、先月の高知・安芸秋季キャンプで熱視線を送られた津田にも、当然チャンスはあるだろう。だが虎投の椅子取りゲームはシ烈。狭い枠に滑り込むべく、今オフは筋力アップを期し、猛練習に励む。「全てにおいて一回り、二回りも成長しないといけない」。来オフ、高代さんの墓前にプロ1勝の記念球をささげるため、一日たりとも無駄にはしない。(八木 勇磨)

 ○…津田はこの日、関西テレビの年末特番「アスリート×芸能人ガチバトルSP」の収録で駅伝に挑んだ。工藤、椎葉、茨木、石黒のチームメート4人とともに、約1・5キロの起伏が激しいコースを疾走。ゴール後には、その場に倒れ込むほどの激走を見せた。序盤、同僚には笑顔で声援を送っていたが、自身が走り終えると苦悶(くもん)の表情。「想像以上にキツかった…」と振り返った。

この記事のフォト

「阪神」特集記事

「大谷翔平」特集記事

野球の2025年12月12日のニュース