【内田雅也の追球】監督とは「待つ」こと 選手から言葉が出るのを待ち、成長を待つ

[ 2022年2月15日 08:00 ]

6日、小幡(右)に声をかける矢野監督
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 名護で日本ハムスカウトの今成泰章に会った。阪神との練習試合(11日)の前、「久しぶりだなあ」と懐かしんだ。「スカウト人生40年を超えたよ」と笑った。65歳。阪神スカウト時代によく取材させてもらった。

 堀越高校時代、「芸能コースの野口五郎か、野球部の今成か」と呼ばれた美男子だったと聞く。昔も今も二枚目だ。

 そんな高校同窓、野口五郎の『私鉄沿線』(1975年1月リリース)は<改札口で君のこと いつも待ったものでした>と歌う。<電車の中から降りてくる 君を探すのが好きでした>。駅で恋人を待つことのよろこびがにじみ出ている。

 14日。バレンタインデーだった。高校時代、野球部の同級生は授業終了後、部室にダッシュで向かう最中「ちょっと」と教室にUターンした。「机の下に入っていた気がする」。待っていたチョコレートはなかった。その彼は後に堀越高校野球部の顧問を務めた。

 彼女もチョコも「待つ」という行為には、どこか甘美な、一方で苦い思いがついてまわる。
 阪神監督・矢野燿大は第3クール最終日(13日)、「こいつ面白いな、というのが、まだ出てこない」と言った。若手の台頭や成長を待ち望む心境が読み取れる。

 「監督の仕事は待つことだ」と映画監督・相米慎二が話している。父子のキャッチボールから展開する村上政彦の小説『ナイスボール』(集英社文庫)を映画化した『あ、春』を監督したのが相米だった。同書巻末に原作者・村上との対談があり、相米が語っている。

 「監督というのはね、みんなが言うことを聞いてくれる。でも、納得して動かないと、その人の本当の力は出ない。だから、僕は、こうしたほうがいいと思っても、あえて言わない。相手が気づくまで待ってる。演出だけじゃなくて、ほかの作業も全部そうです」

 映画も野球も監督として大切なのは「待つ」ではないか。今キャンプ中も矢野はよく選手と話している。よくみていると聞いていることの方が多い。選手から言葉が出るのを待っているわけだ。

 哲学者・鷲田清一が『「待つ」ということ』(朝日選書)で<聴くということは待つことである>と書いている。
 言葉を待ち、成長を待つ。先の小説の映画でのタイトルは『あ、春』だった。春の訪れを待ってみたい。 =敬称略= (編集委員)

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2022年2月15日のニュース