東海大創設者・松前重義氏が特別表彰で殿堂入り OBの巨人・原監督「偉大な尊敬する大総長」

[ 2022年1月15日 05:30 ]

野球殿堂入り発表

78年、日米親善野球で記念撮影する東海大・松前学長(左)と原貢監督
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 野球殿堂の特別表彰では東海大の創設者である松前重義氏(故人)が選出された。首都大学リーグを設立し、日本高野連の最高顧問、日本学生野球協会の副会長などを歴任。スポーツを通じた国際友好のため野球の五輪正式種目化を提唱するなど、国内外で野球発展に尽力した。通知式では「教え子」である東海大OBの巨人・原辰徳監督(63)がゲストスピーチに登場。故人の業績を称えた。

 東海大を創設した松前氏には感謝しかない。ゲストスピーチ役としてマイクの前に立った原監督は「父親のような、凄く偉大な尊敬する大総長でしたね。今も(東海大の)建学の精神は宿っています」と恩師へメッセージを届けた。

 原監督の父・貢氏を東海大相模の監督に招へいしたのも、64年に東海大が所属する首都大学野球連盟を立ち上げたのも松前氏だった。おかげで高校、大学の7年間で父から厳しい指導を受け、プロで長く活躍する土台を築き、同時に学校の発展にも貢献できた。「“東海大の前に道はない。我々の通った後が道だ”ということはよく言われていた」と懐かしんだ。

 松前氏は88年にモスクワ大学に野球場(松前記念スタジアム)を寄贈するなど野球の国際化にも貢献。そんな恩師とはプロ入り後も交流が続き、観戦に訪れた試合で活躍することが多かった。松前氏が亡くなる3カ月前だった91年5月に入院先の東海大学病院を見舞った。意識がもうろうとする中「“辰徳です”と言ったら、親族の方は“笑っているよ、喜んでいるよ”と言ってくれた」と述懐する。死去した同8月25日の大洋(現DeNA)戦では逆転3ランを放ち「総長に打たせてもらった」と感謝した。

 自身も18年に殿堂入りしている原監督は「天国より喜ばれていると思う」としみじみと言った。(川島 毅洋)

 ◇松前 重義(まつまえ・しげよし)1901年(明34)10月24日生まれ、熊本県出身。東北帝国大(現東北大)を卒業後、逓信省(のちの郵政省)に入省。技術者として電話の遠距離通話を可能にした「無装荷ケーブル」を開発した。42年に学園を創立し、翌43年に東海大の前身の航空科学専門学校を創設した。52年から社会党衆院議員(6期)。ソ連と東欧との交流組織「日本対外文化協会」の会長、国際柔道連盟会長などを歴任。東海大総長を務めていた91年8月25日没。享年89。

 ≪山田学長後世に思い伝える≫通知式には故人である松前氏に代わり、親族の東海大・山田清志学長(66)が出席した。今年は同大創立80周年。松前氏が88年、モスクワ大学に野球場を寄贈した際にはソ連に同行し「松前が始球式でボールを投げ、モスクワ大学の総長が打者として空振りした」との思い出を披露した。その後は同地で国際大会も開催され「少なからず野球の国際化に貢献できた」と話し、「今後は我々後輩が松前重義の思いを後世に伝えるべく尽力したい」と力を込めた。

 ▼東海大・井尻陽久監督 野球界に大きく貢献された方だと思う。自分の高校、大学時代には直接会って激励を受けたこともあり、大変うれしい。

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