鹿島学園、常総下し初の甲子園 エース薮野が昨秋県大会決勝に続き“横綱”相手に完投勝利

[ 2021年7月27日 05:30 ]

全国高校野球選手権茨城大会決勝戦   鹿島学園3-2常総学院 ( 2021年7月26日    ノーブルホームスタジアム水戸 )

<鹿島学園・常総学院>優勝を果たし、笑顔で記念撮影する鹿島学園ナイン(撮影・木村 揚輔)
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 第103回全国高校野球選手権大会(8月9日から17日間、甲子園)の地方大会は26日、16大会計34試合、6大会で決勝が行われた。茨城大会では鹿島学園が今春センバツ出場の常総学院を下し、創部33年目で春夏通じて初出場を決めた。また、小松大谷(石川)が36年ぶり2度目、阿南光(徳島)は25年ぶり2度目の甲子園切符。27日は16大会計28試合で、決勝が7試合行われる。

 極限の集中力だった。3―0から1点差まで追い上げられた9回2死二塁。一打同点のピンチだ。エース右腕の薮野哲也(3年)が最後の力を振り絞った。カットボールで空振り三振。ガッツポーズで自軍の三塁側ベンチに走りだした。周囲の歓喜で気付いたゲームセット。照れ笑いで方向転換し、捕手と抱き合った。

 「先制した3点を絶対に守ろうという思いで投げました。人生で一番うれしいです」最速139キロも、カットボールなど、変化球を低めに集めて4安打2失点完投。春夏通じて初めて甲子園出場を決めた。昨秋の県大会決勝でも完投勝利を挙げた常総学院相手に、112球の熱投で退けた。春季大会後は1種だったスライダーを3種に増やして投球の幅を広げた。茨城大会通算45回1/3を投げ自責点はわずか4で、チームの躍進を支えた。

 大阪府松原市出身。甲子園は追い続けてきた夢だった。理由は「プロに近づくから」。小学校の卒業式では、1人ずつ起立して夢を誓う際「将来は甲子園に行きたい」と叫んだ。父・義明さんが「頑固で一度決めたら押し切る」という男は自ら進路を決めた。大阪の強豪・藤井寺ボーイズ時代、鈴木博識監督(70)が試合を視察。「一緒に甲子園に行こう」と約束し茨城で成長した。

 神奈川・日大藤沢を90年春と95年夏に甲子園出場に導いた鈴木監督は「本当に成長した。あっぱれと言いたい」と薮野を称えた。日大監督時代には村田修一(現巨人野手総合コーチ)、館山昌平(現楽天2軍投手コーチ)らを指導。指揮官にとっても26年ぶりの聖地となる。

 「(鈴木)監督さんを信じてここに来て良かった。89チーム分勝ってやろうと思います」。薮野が茨城大会に出場した他の89校の思いを背負い、甲子園へ向かう。(柳内 遼平)

 ◆薮野 哲也(やぶの・てつや)2003年(平15)11月13日生まれ、大阪府松原市出身の17歳。小3から野球を始め、松原第七中では「藤井寺ボーイズ」に所属。鹿島学園では2年秋からベンチ入り。遠投97メートル。50メートル走6秒6。憧れの選手は楽天・岸。1メートル83、68キロ。右投げ右打ち。

 ▼鹿島学園(茨城) 全日制・広域通信制併設の私立校。サッカーも強い。

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