【侍JAPANの原点 1】楽天・浅村栄斗内野手 “やんちゃ小僧”を変えた西岡先輩の一喝

[ 2021年7月20日 06:00 ]

08年、横浜との準決勝後の大阪桐蔭・西谷監督(左)と浅村(右)
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 悲願の金メダルを目指す侍ジャパンの戦士たち。日の丸を背負うまでに成長した選手たちの「原点」はどこにあるのか。家族や恩師ら関係者の証言を基に5回連載で紹介する。第1回は大舞台での勝負強さが光る楽天・浅村栄斗内野手(30)。 

 多くのプロ野球選手を輩出している大阪桐蔭の出身。大阪で生まれ育った浅村は、7歳上の兄・展弘さんと同じ強豪校の門を叩いた。入学時から非凡な野球センスはあったが、思春期ゆえのやんちゃさが邪魔をして野球に集中できずにいた。

 「超まじめ人間だったお兄ちゃんとは真逆の性格。プロに行きたい、甲子園で勝ちたいと頭では思っていても、なかなか行動が伴ってこなかった」。大阪桐蔭の西谷浩一監督はこう述懐する。禁止されていた携帯電話を持ち込んだり、夜に寮を抜け出したり。浅村も「1、2年生は練習させてもらった記憶があんまりない。いらんことばっかりして、毎日毎日、草むしりだった」と話す。周囲も手を焼くほどの「問題児」だった。

 意識が変わったきっかけは、最高学年になって厳しい現実を突きつけられたこと。2年秋の府大会は、準々決勝でPL学園にコールド負け。冬にはOBで、当時ロッテの主力だった西岡剛(現BC栃木)から「考え方が甘い。プロをなめとったらアカン」と一喝された。西岡にとって浅村の兄は1学年先輩。西谷監督が「弟がプロを目指してるんやけど、そんなに甘い世界じゃないと言ってやってくれ」と頼んだのだ。

 3年生で副主将に指名されると、別人のように真摯(しんし)に野球と向き合い始めた。「浅村が打てば、みんな勇気が出るんやから」。監督の言葉を胸に、夏の甲子園では打ちまくった。リードオフマンとして打率・552、2本塁打の活躍で全国制覇の立役者になった。

 最後の夏で有終の美を飾った直後、北京五輪で日本はメダルを逃した。メンバーには西岡もいた。あれから13年。西谷監督は「きっとここぞの場面で打ってくれると思う。後輩たちも金メダルを期待している」とエールを送る。かつてのやんちゃ小僧が、大舞台でまた打ちまくる。あの夏のように――。 (重光 晋太郎)

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2021年7月20日のニュース