あの夏…福島・聖光学院 県5連覇で、甲子園で貫き続けた「無言のメッセージ」

[ 2021年3月11日 05:30 ]

11年夏の福島県大会決勝。優勝を決め、マウンドに歓喜の輪ができるも、軽いハイタッチ程度にとどめた聖光学院ナイン
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 東日本大震災から10年。未曾有の出来事が発生しても、必死にプレーしたアスリートと指導者が「3・11」と「忘れられない日」を振り返る。

 2011年の夏。甲子園出場を決めた球児は喜びを表現しなかった。斎藤智也監督(57)が率いる聖光学院は、放射線量を測定しながら開催された夏の福島大会で5連覇を達成した。原発事故の影響で県外チームと対戦できないなど多くの苦難を乗り越えた聖光ナイン。聖地でも懸命なプレーを貫き、福島へ「無言のメッセージ」を送った。

 「止まれ!」。斎藤監督は両手を上げて、叫んだ。一塁ベンチ前でミーティングしていたナインをマウンドまで移動させた。余震も続き、「ただごとじゃない。(願いが)通じるのであれば止まってほしかった」と振り返る。

 野球部は解散。4月から本格的に活動を再開したが、ボランティア活動を行いながらの練習は、節電のため日が暮れるまでに限られた。県外チームが福島県のチームとの練習試合を避け、実戦は紅白戦のみだった。

 当時夏の福島大会を4連覇し、甲子園常連校となった聖光学院。被災し、その発信力が大きくなったと感じていた。「選手は“福島を元気にする”と言うしかない。でも、原発事故はそんな軽はずみな問題じゃない」。自分たちが本当に元気や勇気を届けられるのか、その言葉を簡単に口に出していいのか。常に葛藤していた斎藤監督は選手を集めた。「福島代表として喜んでもらえるチームじゃないといけない。ストレスを感じている中で泥くさく全身全霊でボールを追う。マスコミにしゃべるのは俺だけで良い。野球でメッセージを発信しなさい」。プレーで見せる。ナインの気持ちは固まった。

 11年7月28日。福島大会決勝。エース・歳内宏明(現ヤクルト)が完封し、須賀川を4―0で下して5連覇を達成した。マウンドに集まる選手を見て、斎藤監督は感心した。「そうだ。それでいい」。歓喜の表現は熱い抱擁ではなく、軽いハイタッチ。そして、すぐに整列した。名将の言葉を体現したナインの姿は「甲子園に行く人間の生きざまだった」。

 勝利と同時に、震災の年の福島県代表という重圧がのしかかった。「今までの優勝で一番うれしくなかった。重い。甲子園で本当に無言のメッセージを届けられるか」。ふがいないプレーは許されない。それでも、「俺らしか資格がない。優勝まで駆け上がるぞ」と決意を新たにした。

 夏の甲子園の初戦・日南学園(宮崎)戦は延長10回サヨナラ勝ち。2回戦で金沢(石川)に敗れたが、ナインは万雷の拍手に包まれた。斎藤監督は「2試合で見えないものを含めて7、8個失策している。(プレッシャーを)抱えてやってくれた」と選手を称えた。

 深紅の優勝旗はいまだに白河の関を越えていない。「過去には大阪桐蔭や東海大相模などと、戦力を物差しで測ったこともあった。でも、選手層に関係なく、最初に東北へ優勝旗を持ってくるのは聖光だという気持ちが強くなっている。根拠がなくても信念が上回る」。あの日から10年。斎藤監督と聖光学院は“東北の悲願”へ挑戦を続ける。(近藤 大暉)

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