【藤川球児物語(30)】「自分のストレートを投げられるうちに勝負したい」 メジャーへの決意

[ 2020年12月12日 10:00 ]

2007年12月の契約更改後、阪神の優勝とメジャーへの挑戦について熱く語った藤川球児
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 07年のシーズン、藤川球児は46セーブを記録した。初めて抑えに専念して結果を残した。中日・岩瀬仁紀と並んだ記録は、今もセ・リーグ最多として残っている。

 だが、満足はできなかった。06年に続くV逸。どうしたらチームの勝利に貢献できるのか、どうやれば優勝に導くことができるのか。9回の登場とともに味方までも、勝利を確信する存在になっても、自問自答の日々が続いた。

 このシーズンから初めて導入されたクライマックスシリーズ(CS)も、考える時間につながった。2位中日と戦った第1ステージは0―7、3―5で連敗。絶対的守護神も1球も投げることができずに終わった。

 「この仕事をやっている以上(出番を)待つしかないですから」

 攻守がかみ合い終盤勝負になって初めて仕事の機会が生まれる立場。セットアッパーとして相手の流れを断ち切り、味方を勝利に向けることだけを考えていた05年を懐かしく思い出すときもあった。

 では何をすべきか。05年、06年、そして07年と3年間、プロの第一線で結果を出してきた。3年はひとつの区切り。次の3年にも目を向けたい。CS敗退後、一睡もせずに名古屋から始発の新幹線に乗り込み、本紙記者に「オフに新しい自分を探すのが楽しみ。自分のバリエーションを増やしたい」と打ち明けた。優勝への強い思いは揺るがない。それとともに、藤川は自分の気持ちに正直になろうと決めていた。

 自分の気持ち――。それを明らかにしたのがオフの契約更改だった。12月12日の交渉で「メジャーリーグにチャレンジしたい」と意志を表明した。

 「気持ちを抑えきれなくなった。気持ちを隠してプレーすることはできない。自分のこのストレートが投げられるうちに勝負したい。このままでは自分の野球人としてのプレー、コメントがすべてウソになる。ありのままの自分を伝えたい」

 夢は語った。その夢をかなえるために、阪神の一員としてやるべきことがある。ファンを裏切ることはできない。頭の中は見事に整理されていた。=敬称略=

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