【内田雅也の追球】心の痛みを共有する 25年ぶり、57年ぶり屈辱の阪神が再出発に必要な姿勢

[ 2020年8月21日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0-2巨人 ( 2020年8月20日    東京ドーム )

<巨・神(10)>7回2死満塁、青柳(右)に代打・中谷(左)を送る矢野監督(撮影・森沢裕)
Photo By スポニチ

 今も思い出すと胸が詰まる。1995年7月20日、阪神は巨人戦(甲子園)で槙原(寛の目の右下に「、」)己に完封を喫した。19日に監督・中村勝広は辞意を固め、球団に伝えていた。球宴前での監督辞任が表面化するなか、試合は淡々と終わった。記者席で原稿を書いていると、土砂降りの雨が降った。辛く、悔しい涙雨だった。

 あの夜以来、25年ぶりの巨人戦3戦連続零敗である。当時、選手たちは一様に「監督ばかりの責任ではない」と言った。引責辞任するのは監督だが不成績の責任は選手にもある。コーチやフロントや誰のせいでもない。打てない、点が取れないのは自分たちなのだ。

 監督・矢野燿大は常に責任は取るとして選手を重圧から解放している。ただ、この責任や屈辱といった辛い心情を選手もフロントも皆で抱くことが再起には欠かせない。

 中村辞任の紙面に先輩が記者の目で<フロントは監督に何かしてやったか>と指摘している。実際、具体的な補強などは難しい。<何か>とは、寄り添うことではないだろうか。どうしたら打てるか、勝てるか、といった根源的な問題に明確な「答え」などない。ただし、問うことはできる。

 禅僧・南直哉(じきさい)がいくつかの著書で、大きな問題の前では「答え」などないが、「問い」を共有することの重要だと説いている。「問いを共有することから出発しよう」というのである。

 巨人3連戦零敗を敵地に限ると、1963(昭和38)年5月18―20日の後楽園までさかのぼる。57年ぶりだ。当時の本紙に評論家・千葉茂が<ハッスルというものが見られず>、エッセーで阪神ファンの映画評論家・滝沢一(おさむ)が<「ハッスル阪神」の表看板はどこへいった?>と書いていた。

 この「ハッスル」は阪神が持ち帰った言葉だ。三省堂『コンサイス外来語辞典』は<はりきること。機敏かつ精力的に活動すること>という意味説明の後に<プロ野球の阪神タイガースが昭和38年の米国遠征キャンプで仕入れてきた語>とある。

 同年2月、阪神は初の海外キャンプを行った。米フロリダ州レークランドでデトロイト・タイガースとの合同練習である。スケジュール表に「ハッスル、ハッスル、ハッスル」と大書されていた。帰国後「ハッスル・タイガース」は阪神の売り文句となっていた。

 当時の記事には<得点門すら開けられず>といった表現がある。チャンスすら作れなかったという意味だろう。この夜は7回表に1死一、三塁から2死満塁、8、9回表も得点圏に走者を置き、「得点門」は開けたが「あと1本」を欠いた。

 「ハッスル」はどうか。凡打疾走する姿勢や、三振時の悔しい表情に気力は映っていた。

 酷暑のなか、苦しく辛い晩夏である。だが、試合は毎日ある。時間になれば、球場に出向き、戦わねばならない。

 しかし、それは挽回のチャンスがすぐに巡ってくるということでもある。コロナ禍で開幕が延びたため、今季は11月までレギュラーシーズンはある。全員が心の痛みを分かち合い、機敏かつ精力的にハッスルするしかないのである。=敬称略=(編集委員)

続きを表示

2020年8月21日のニュース