鼻が折れるほど激しく怒った「クレージー・ライト」 球団初メジャー出身投手の荒すぎる気性

[ 2020年4月22日 07:15 ]

久保田球審(右)に猛抗議する巨人・ライト(1978年6月17日撮影)
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 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~乱闘編~】昭和、平成の名場面を本紙所蔵の秘蔵写真からお届けする「Lega―scene(レガシーン)」。プロ野球乱闘編の第2回は1978年6月17日の巨人―ヤクルト戦。巨人のクライド・ライト投手(当時35)がボールの判定に激高し、久保田治球審に詰め寄る。同年の東京写真記者協会のグランプリにあたる協会賞(豊田和夫カメラマン撮影)を受賞した一枚です。

人呼んで「クレージー・ライト」。
あだ名そのままだ。
気性が荒く、
一度火が付いたら誰も止められない。

長嶋茂雄監督でも手を焼いた。
降板指令に激怒し
ユニホームをひきちぎって大暴れした。
夜の街でケンカもした。
飲み仲間はヤクルト、近鉄で活躍した
「赤鬼」ことチャーリー・マニエル。
恐ろしい組み合わせだ。

この夜も激しかった。
初回、先頭・若松を左飛に打ち取ると
突然わきめ散らしてマウンドを降りた。
追い込んだ後のボールの判定に
怒りが収まらない。

久保田治球審も受けて立った。
両者は鼻が曲がるほど
顔を近づけにらみ合った。
ライトはこの1カ月後に
日本を去り、引退した。

メジャー出身の外国人投手は
巨人史上初めてだった。
メジャーで通算100勝を挙げ
1970年にエンゼルスで
ノーヒットノーランを達成。
76年5月鳴り物入りの来日である。
8勝を挙げて長嶋政権初優勝に貢献し
2年目も11勝で連覇に導いた。
ただ、プレー以上に注目を浴びたのは
「クレージー」な暴れっぷりだった。(敬称略)

 ≪敵将・広岡監督 怒り心頭「永久追放に」≫左肩痛から復帰したライトは6回4失点で黒星。0―1の3回2死一、二塁ではマニエルの平凡な中堅への飛球を柴田が目測を誤り、2点を追加された。試合後、助っ人左腕は「俺のピッチングのことより、あのプレーを聞いたほうがいいんじゃないか」と審判だけではなく、柴田にまで怒りの矛先を向けた。首位を走るヤクルトの広岡監督だが「初回のライトの抗議ね。審判を脅かすことなんか日本人をなめている証拠。あんなもの永久追放にしてしまえばいい」と怒り心頭だった。

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