【タテジマへの道】糸原健斗編<上>プロへの道開いた“2度目の覚悟”

[ 2020年4月17日 15:00 ]

阪神の糸原は、開星高では3度甲子園に出場し、プロの注目を集めた

 スポニチ阪神担当は長年、その秋にドラフト指名されたルーキーたちの生い立ちを振り返る新人連載を執筆してきた。今、甲子園で躍動する若虎たちは、どのような道を歩んでタテジマに袖を通したのか。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増えたファンへ向けて、過去に掲載した数々の連載を「タテジマへの道」と題して復刻配信。第3回は16年ドラフトで5位指名された糸原健斗編を、2日連続で配信する。 

 『3度目の正直』でついに夢をつかんだ。10月20日、ドラフト当日。阪神が5位で『糸原健斗』を指名。その約20分後に母・洋子さん(54)の電話が鳴った。相手は健斗だった。「(プロに)決まったよ。ありがとう!」。洋子さんはあふれる涙を必死にこらえ「おめでとう。お世話になった人たちにお礼を言いなさいよ」と伝えた。「子供の頃みたいに興奮してたんです。うるっとしちゃいました」。これまで何度もプロ入りのチャンスを逃してきた苦労人。親子とも、感情を抑えることはできなかった。

 開星高(島根)では3度甲子園に出場し、3拍子そろった内野手としてプロの注目を集めた。だが「甲子園で自分より上にいった(勝ち進んだ)選手を見ていて、思うところがありました」と気持ちが揺れた。このままで本当に通用するのか―。実際に下位指名や育成枠で獲得される可能性はあったが、「4年間鍛えてからでも遅くない」と明大進学を決めた。

 「この4年でなんとしても」。そんな思いで臨んだ明大では、3年春に二塁と三塁の兼任でレギュラーをつかむと、秋にはドラフト上位候補―と報道されることもあった。ついに…。そんな思いだった矢先の4年の3月。オープン戦で死球を受けて右手甲を骨折してしまう。その影響で、春のリーグ戦では思うような打撃ができずに打率・163。秋も調子は上がらず、同・220に終わった。進路相談では明大の善波達也監督に「社会人を経験して、2年後に目指したらどうだ」と言われた。社会人経由となると今まで以上に即戦力が求められ、夢の扉は確実に狭まる。だが、プロへの思いが消えることはなかった。「2年しっかりやって、(プロに)いってやろうと思った。悪い方に考えず、鍛えられると思って」とJX―ENEOSへの入社を決意。2年後、ついに長年の我慢と努力が報われた。

 11月1日。社会人野球日本選手権(京セラドーム)を観戦するため大阪を訪れていた洋子さんと、姉の英里さん(25)の3人で海鮮料理に舌鼓を打った。仕事のため試合当日に大阪に入った父・優二さん(54)と、兄・大祐さん(27)は参加できなかったが、その場で家族に対して「初めて」という野球での決意を語った。「この先どうなろうと、社会人で終わるより、一番上のプロの世界で野球人生を終えたかった。これからだけど、がんばります」。その目に、迷いはなかった。

 島根県・雲南市に生まれた3016グラムの男の子は、健康に育ってほしいという思いを込められ「健斗」と名付けられた。小学1年のときに初めて買ってもらったグラブは毎日手入れを欠かさず、6年間使い続けるほどの野球少年だった。そんな男は苦労に苦労を重ね、やっと『スタートライン』に立った。
(2016年11月10日付掲載、明日に続く)

 ◆糸原 健斗(いとはら・けんと)1992年(平4)11月11日生まれ、島根県出身。小2から野球を始める。開星では1年秋からレギュラーで2年春、3年春夏の3度甲子園出場。明大では3年春に三塁手の定位置を獲得し、同年春、秋に2季連続のベストナインを受賞。社会人のJX―ENEOSでは1年目から主に二塁手として活躍した。1メートル75、80キロ。右投げ左打ち。

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