ムネリン、自律神経の病乗り越え…支えられたダルの助言「本当に有君はいろんなことを」

[ 2020年4月16日 05:55 ]

元ソフトB川崎宗則 インタビュー(2)

鹿児島県内の実家で読書やトレーニングをする川崎(C)11aside
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 元ソフトバンクの川崎宗則内野手(38)がスポニチ本紙の電話インタビューに応じ、現在の心境を語った。鹿児島県内の実家に滞在して限られた中でトレーニングを続けている。18年3月にソフトバンク退団の一因となった自律神経の病気からの回復、昨年在籍した台湾球界へ再挑戦への思い、ソフトバンクの王貞治球団会長(79)に対する感謝の気持ちなど、話は多岐にわたった。(聞き手・川手 達矢)

 ――昨季は台湾リーグの味全で現役の野球選手として復帰した。
 「国を替えたいというのがあった。韓国とか台湾とかを考えた。ソフトバンク時代にチームの通訳をやっていた赤井(剛史)さんから台湾を勧められた。凄く楽しかった。赤井さんには感謝しています。レベルも高いし、いい選手ばかり。街も都会。8年ぶりに行ったけど、食事もおいしかった」

 ――兼任コーチという契約だった。
 「子供たちとは違って“教える”というレベルではないと思った。普段は選手としてやらせてもらったし、一緒に刺激し合って、一緒につくり上げる感じかな。今の野球の考え方や感性もある。そういうものは選手から学んだ部分も多かった」

 ――現在の関係は。
 「チームで日本語を話せる育成選手がいるから連絡を取っている。試合もネットで毎試合チェックしています。今はコロナや契約のことで台湾に行けていないけど、また台湾でプレーできたらと思っています。昨年所属させてもらったチームは来年は1軍(リーグ)に上がる。そこでもう一度、一緒にプレーしたい。そのためにも、まずは肩をしっかり治したい」

 ――自律神経の病気でソフトバンクを退団した。
 「自分でも信じられないくらい、たくさんの人たちが心配をしてくれた。心強くて支えになったし、本当にありがたかった」

 ――ダルビッシュ(カブス)からもさまざまな助言をもらったと聞いている。
 「有君からは瞑想(めいそう)のトレーニングの“マインドフルネス”(※注2)を教えてもらった。ゼロトレーニングと並行して、今は瞑想もやってる。1日10分くらいだけど、凄くいい。気持ちが良くて凄く眠れる。脳を休められる」

 ――体調を崩し休養の大切さに気づいた。
 「本当に有君はいろんなことを知っていて、教えてくれた。メールで送ってくれて、睡眠の本はわざわざたくさん送ってきてくれた。その時は眠れないことが多かったからね。おかげで今はいい。(体調は)80点です」

 ――恩師であるソフトバンク・王会長への思いは。
 「台湾に行く前に連絡させていただきました。“頑張ってこい!”と喜んでくださって後押しになった。会長は台湾でもスーパースター。“台湾を盛り上げてきてくれ”と声を掛けてくれた。また台湾に行けるようになったら連絡させていただきます」

 ――ロッテに加入した鳥谷や、ヤクルト・青木、巨人・岩隈ら81年度生まれの同学年の選手も頑張っている。
 「この年になって野球をやってるって凄いこと。刺激というか尊敬に値する。だって、もうおっさんだから(笑い)。自分も含め、お互い頑張ろうと思う。こうして自分たちが現役を続けていることが周りの人たちの励みになってくれたら」

 ――最後に。
 「ロッテに(福田)秀平が入った。一緒に練習もしたし、何度も食事にも行った。楽しみ。日本の野球も見ています。ロッテファンの皆さん、秀平をよろしくお願いします!」

 ※注2 瞑想とヨガを用いたストレス軽減法で、10~15分の呼吸を通して心と体の状態を観察しながら自らの気持ちをコントロールする力を身につける。不安障害などに悩む人のために開発された治療法で、仏教の座禅からヒントを得た。

 ▽味全ドラゴンズ 90年に4球団で始まった台湾プロ野球の創設チームの一つ。99年限りで解散も、19年に球団増設が望まれる中で復活が決まり、20年に2軍で試合経験を積み、21年から1軍に参入する予定。

 ◆川崎 宗則(かわさき・むねのり)1981年(昭56)6月3日生まれ、鹿児島県出身の38歳。鹿児島工から99年ドラフト4位でダイエー(現ソフトバンク)入団。04年に最多安打と盗塁王を獲得。06、09年WBC日本代表、08年北京五輪日本代表。11年オフに海外FA権を行使しマリナーズに移籍。ブルージェイズ、カブスを経て、17年にソフトバンクに復帰した。18年3月には自律神経の病気を公表し退団。復帰した昨年は台湾の味全ドラゴンズで選手兼任コーチとしてプレーした。1メートル80、75キロ。右投げ左打ち。

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