鳥谷、ロッテ入り!阪神退団、自由契約から3カ月…38歳、千葉で17年目シーズンへ

[ 2020年3月10日 02:08 ]

阪神時代の鳥谷
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 昨季限りで阪神を退団し、自由契約となった鳥谷敬内野手(38)がロッテに入団することが9日、分かった。近日中にも発表される。鳥谷は現役続行を目指していたが、移籍先が決まらず去就が注目されていた。通算2085安打を誇る阪神のスター選手が、プロ17年目となる今季もユニホームに袖を通すことが決まった。

 完全に閉ざされていたと思われた現役続行の道が開けた。3月を迎え、引退の危機に直面していたところでロッテとの交渉が成立。鳥谷がセ・リーグからパ・リーグに戦いの場を移し、プロ17年目を迎える今季もプレーすることになった。

 5年契約の最終年を迎えた昨季は主に代打で起用され、8月29日に球団首脳から戦力構想外とともに引退勧告を受けた。しかし、本人は拒否し、現役続行の意思を伝えた。2日後の31日には「タイガースでユニホームを着てやるのは今シーズンで最後」と退団を決意し、移籍先がなければ「そのまま終わるという形になる」と現役引退の覚悟も示していた。阪神一筋16年。巨人に敗れたCSファイナルステージで、タテジマのユニホーム姿は見納めになった。

 12月2日に阪神の保留選手名簿から外れ、自由契約選手に。退団後は現役続行一本に絞り、他球団からのオファーを待った。しかし、本格的に獲得に乗り出す球団はなかなか現れなかった。それでもトレーニングを続け、年明けも恒例のハワイ自主トレを行った。帰国後も兵庫県内を拠点に、コンディショニングに努めてきた。

 そして、内野の層を厚くしたかったロッテから声が掛かった。内野のユーティリティープレーヤーで、精神的支柱だった鈴木大が楽天にFA移籍。鳥谷も遊撃、二塁、三塁を守れ、若手の手本ともなる。さらに鳥谷にとって、井口監督は背中を追いかけてきた存在だ。早大時代にダイエー(現ソフトバンク)の春季キャンプに参加したときから交流を深め、プロ2年目の05年から沖縄で合同自主トレを行ってきた。運命的に「師匠」の下で第二のプロ野球人生をスタートさせる。

 通算2085安打を放ち、プロ野球歴代2位の連続試合出場(1939試合)を記録した鉄人。現役を諦めなかった38歳が千葉で雄姿を見せる。

 ◇鳥谷の去就経緯
 ▼19年8月25日 ヤクルト戦(神宮)の9回に代打で内野安打。試合後、早大時代から慣れ親しんだ神宮最終戦に「自分も最後になるかもしれないので、いい打席になりました」と発言。  ▼29日 球団首脳との会談で揚塩健治球団社長から「阪神のスターとして引退」を要望されて態度を保留。  ▼31日 巨人戦(甲子園)の試合前に自ら取材の場を設け、今季限りでの退団と現役続行の意思を表明。  ▼10月13日 巨人とのCSファイナルS第4戦(東京ドーム)の9回に代打で二ゴロ。チームの敗退が決まり、阪神での16年間を終える。  ▼20日 東京都三鷹市でイベントに出席。現状を「ピンチではなくてチャンス」と語り、子供たちに夢を持つ大切さを伝える。  ▼12月2日 阪神の保留選手名簿から外れ、自由契約選手となる。  ▼14日 大阪市内で行われたシンポジウムに参加。去就について「本当に全然決まってなくてですね。野球ができるのか、やめるのか、自分が聞きたいぐらい」。  ▼20年2月1日 春季キャンプがスタート。2月中はどの球団にも所属せず。

 ◆鳥谷 敬(とりたに・たかし)1981年(昭56)6月26日生まれ、東京都出身の38歳。聖望学園(埼玉)で3年夏に甲子園出場。早大では2年春にリーグ3冠王を獲得するなどベストナイン5度。03年ドラフト自由枠で阪神入り。04年9月9日から18年5月27日までプロ野球歴代2位の1939試合連続出場。17年に通算2000安打達成。ベストナイン6度、ゴールデングラブ賞5度(遊撃4、三塁1)受賞。13年WBC日本代表。1メートル80、79キロ。右投げ左打ち。

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