阪神育成2位・奥山 水泳で体づくり 違う道を歩んだ少年時代

[ 2019年12月18日 08:00 ]

虎ルーキーの素顔に迫る 最高峰の舞台にトライ 育成ドラフト2位・奥山皓太外野手(1)

投手としても輝きを見せた小学5年時の奥山
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 阪神育成ドラフト2位・奥山皓太外野手(22)は国立の静岡大から誕生した初のプロ野球選手で、小学校から高校まで故郷・山梨県甲府市の公立校で過ごした。少年時代は水泳にも打ち込み、いわゆる“野球エリート”とは違う道を歩んできた。

皓太は少年時代に野球だけではなく水泳にも打ち込んだ。

 「水泳もそれなりに楽しかったですし、よく分かっていなかったですけど、野球に生きていると思います」

 週1回、家の近所にある水泳教室に通うようになったのは小学3年の頃だ。母・真由美さん(52)の「健康で風邪をひかない強い子どもになってほしい」という思いから足を運ぶようになり、回を重ねるうちに自然とのめり込んだ。

 目的は大会に出て賞を取ることではなかった。単純に体を強くするため――。だからこそ、スポーツ施設などの水泳教室ではなく、あえて近所の有志からなる小さな教室を選択した。小学6年まで毎回2、3キロの距離をひたすら泳ぐメニューに励んだ。最終的な目標は野球につながる体づくりだったからタイムなどは気にしなかった。

 「水泳で野球に生かせる体をつくれたと思う。長い距離を泳ぐことが多かったので、スタミナ面もそうですし、背中の筋肉など力がつきました」

 野球を始めるきっかけは、物心ついたときから自宅で見ていたプロ野球中継だった。「僕もプロ野球選手になりたいな」。淡い憧れの思いを持っていた小学3年の夏、通っていた地元の池田小で池田スポーツ少年団の体験練習会に参加。友人とともに数回の練習参加を経て秋から本格的に始めた。

 最初は外野手で、4年時は内野手になって主に二塁手を務め、投手にも挑戦した。「いろんなポジションをやらせてもらった。とにかく野球が楽しかった」。5年の時には早くも中軸を担うようになり、県大会の3位決定戦では投手で勝利に貢献。関東大会に出場するなど投手として才能の片りんを見せた。

 主に内野手だった甲府市立西中を経て甲府西高へ進学し、1年から再び投手へ戻った。市内有数の進学校で、部活動と並行して学習塾にも通った。3年時には球速が140キロ台まで上昇。最後の夏はエースとして山梨大会8強まで進んだ。

 「高校3年間は投手で積み上げてきたので投手として大学でも成績を残したい」

 一定の実績を残したことで県内外の私大から誘われた中、高校時代と同じ「文武両道」の思いから前年14年に大学選手権に出場した静岡大を選んだ。当時はプロを意識することはなく、両親がともに教師だったこともあって教員免許も取れる教育学部に現役で合格。そして、入学直後に野球人生を揺るがす大きな壁にぶち当たった。 (長谷川 凡記)

 ◆奥山 皓太(おくやま・こうた)1997年(平9)9月3日生まれ。山梨県出身の22歳。池田小3年で野球を始め、甲府西中では軟式野球部所属。甲府西では投手を務めた。甲子園経験はなし。静岡大進学後、3年時に外野手転向。4年秋にベストナイン。1メートル86、93キロ。右投げ右打ち。

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