阪神・横田が激白1時間 脳腫瘍で闘病…野球の神様が「見てくれていた」

[ 2019年12月18日 05:40 ]

阪神の横田
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 17年に患った脳腫瘍の闘病を経て、現役を引退した元阪神外野手の横田慎太郎氏(24)は今季限りで退団することを明かした。2度の手術を経験するなど半年に及んだ壮絶な闘病生活や、奇跡のバックホームを披露した引退試合の裏側、そして今後…。プロ生活のすべてを語った1時間以上に及ぶロングインタビューを2日連続で掲載する。(聞き手・遠藤 礼)

 ――引退して3カ月近く経った。実感は

 実感は引退試合が終わってからすぐ沸いてましたね。

 ――寂しさは

 寂しさはないです。自分で厳しいと思って決断したので。(9月26日の引退試合で)バックホームを投げてから“まだできるんじゃないか”という声もかけていただきましたけど、厳しいと思ったので。目の方も昨年より良くないので。今も全部二重に見えますからね。字も二重で、スマホの文字も角度によっては見えないですからね。

 ――鹿児島に帰ってきて嬉しかったことは

 会う人、会う人にお疲れさまとか感動したとか声をかけてくださってありがたいです。引退試合を見て泣いたという方もいましたし。ケーキ店の店員の方が病気で勇気をもらったと言ってくれたり。そういう声が一番嬉しかったですね。

 ――引退試合をあらためて振り返って

 自分ではそんな凄かったのかな、という気はしますけど。ボールは本当に見えてなくて。しかも、一番僕の嫌な打球、球筋というか…ゴロだったら良いんですけど、ああいう弾道が一番見えなくて。どこで跳ねてるかも分からなくて、いつもなら後ろに逸らすか、顔に当たっていた。正直、一番ヤバい打球が来たと思ったんです。そこからバックホームと考えたら…。最後にこの打球かと思ったけど、いつもより何十倍も体が動いて、びっくりするんですけど…(袖をめくって)今もこうやって鳥肌が立ってくるんですよ。考えられないというか、あんな打球捕って、よく投げたなと。本当に神様か誰かが、全部やってくれた、今まで見てくれた感じです。たまたま捕れたというか、自分の力じゃない気がしましたね。あんなにスムーズに、シートノックでもできてなかった動きなので。投げたボールも見えなくて、内野陣がガッツポーズしたのが見えて…あ、ヤバい、マジかと思ってベンチに帰りましたね。

 ――努力が報われたプレーだった

 小さいことでも何か1つ試合で残したかったので。バックホームでアウトとかは考えてなかったですけど、何か小さいことでも誰かに喜んで欲しかったので。

 ――ファンに捧げるプレーでもあった

 (18年から)育成契約になって試合に出たいと言ってましたけど、ずっと出れなくて。練習じゃなくて、試合で喜ばせたいという思いはあったので、その思いが持てていたからあのプレーができたのかなと思いますね。

 ――リハビリ期間中、毎日駆けつけた鳴尾浜のファンの存在

 本当に励みになりましたね。あの人たちは練習が始まる前から待っているんですよ。僕が朝、練習前に外野で素振りをよくしていたんですけど、そこから見てくれていたんですよ。朝早くからいつも5人ぐらい来てくれていて、土日も。いつもありがとうございます、と言って飲み物も僕から渡したりしていました。暑い時も来てくれて。何とかこういう人たちに最後、野球の試合で喜んでもらいたいなとずっと思っていた。その気持ちを持ち続けたおかげかもしれないですね。

 ――バックホームの後、ベンチで号泣していた

 ベンチに帰ったら、ロッカーに来てくれていた鳥谷さんが背中をポンポンと叩いて“野球の神様って本当にいるんだな。すごいぞ”と言ってくれて。その瞬間、涙が止まらなかったですね。ヤバかった。あの瞬間は鮮明に覚えていますね。

 ――ほぼ全選手がユニホーム姿で鳴尾浜に駆けつけてくれた

 本当にびっくりしましたね。あれだけ見に来てもらって、最後何かしたいと思っていた。このまま終わっても、お疲れさんという感じじゃないですか。打球捕るだけでも良いので、何か起こしたいと思っていた。

 ――予定の9回ではなく8回2死二塁からの出場だった

 平田2軍監督に試合の3日前ぐらいに辞めると直接伝えて、監督から“どこが守りたいんや”と聞かれてライトでお願いします、と答えたら平田さんが“お前バカじゃないか。何を遠慮してんだと。お前が開幕スタメンを獲ったのはセンターだろ。あと2日センターで練習しろ!”と言われて…。それで僕もですけど、平田さんも泣いて…。あそこから始まったと思います。ライトだったらあんな打球も飛んできていないので。9回から出すと言われていたけど“最後、ピンチで緊張感を味わわせたい”という平田さんの思いは試合が終わってから気づきましたね。緊張しましたけど、最後にああいう場面で起用してくれて本当に感謝です。

 ――引退セレモニーのスピーチも気持ちがこもっていた

 あれだけのセレモニーをやっていただいて球団には感謝しかないですね。スピーチの内容もいろいろ考えていたんですけど、あんなプレーが起こって全部飛んで(忘れて)しまったんですよ。本当にパニックになっていた。でも、あそこに立ったら思っていないことも全部言えましたね。あそこで変なこと言ったらセレモニーも台無しだと思ったので、良かったです。

 ――みんなが涙した

 1人、1人握手に言ったらみんな泣いていたので。北條さんもいつもイジられていたのにすぐ泣いた、って言っていて、高山さんも(日大三で)甲子園で優勝した時以来泣いたと言ってましたね。

 ――野球の神様の存在は信じていた

 神様がいるとは思ってましたけど、現実に起こらないと、分からないので。練習でホームラン打つとかじゃなくて、辞める前に試合で何かしたいと思っていたので。何か違う形で、小さいことでも良いんで残したいと思っていたので、それを見てくれていたのかなと思いますね。

 ――悔いなく終われた

 悔いはいっぱいありますけど、最後、ああいう形で終われたので良かったです。

  ――引退後は故郷の鹿児島へ戻った。現在は

 両親にも話して、1人で住んでみたいと。実家にいたら親が手を貸してくれるんですが、誰の手も借りず、一度、生活してみようかなと。野球を辞めて次、何をするにしても、いずれ1人で生活していかないといけないので、その練習というか。1人でゆっくり考える時間も作れるし、今までも寮で誰かに助けてもらっていたし、1回、1人で生活することにチャレンジしてみようと思って

 ――寮生活に慣れていて不自由な面は

 生活面はそんなにないですけど、1人なら誰の手も借りずに、自分でやらないといけないので、すごく良い勉強、良い時間になってますね。

 ――食事面は

 時間もあるので自分で作ってますね。おいしいとは言えないですけど…(笑い)。自分で作るようにしてます。どこかで買ってくるのは誰でもできるので、いろいろ自分で考えて作ってます。最近は唐揚げとかも作りました。親にも聞いたりして。最近は焼きそばが意外とおいしく作れましたね。野菜炒め、肉炒め、卵料理もやってみましたね。全然、まずくて食べれないことはないですよ。時間があるときは昼食、夕食は作っています。

 ――1日の過ごし方は

 朝は6時、遅くても7時には起きて、ランニングして、部屋で腹筋とかして。野球を辞めるとすぐ筋肉が落ちてしまうので。その後はスーパーに行って夕食の買い出しに行って、夜はテレビを見たりしてます。「水曜日のダウンタウン」が最近のお気に入りですね。

 ――なぜまだトレーニングを

 今まで自分なりに時間をかけてトレーニングをして筋肉を作ってきたのが無くなったり、脂肪になるのが悔しいというか、少しもったいない気がして。走ったり、腕立てとかして維持できるようにしてます。

 ――プロ選手でなくなり、体を動かすモチベーションは

 動くのが好きなんで。桜島を見ながら1人で考えながら走ったりすると、すぐ時間も過ぎるんですよね。気持ち良いですよ。当たり前なんですが、野球のことは何も考えてないですね。

  ――今後は

 まだ何もなくて。引退してすぐに球団からはアカデミーコーチの話を頂いていたんですが、断らせてもらいました。いくら子どもと言っても、仕事と考えると厳しいと思ったので。目が一番です。野球を辞めて、すぐに野球に戻ることも考えていなかったので。球団も2、3カ月ずっと待ってくれたのでありがたかったんですけど。次のことは、今は何するっていうのはないですけど、今までずっと苦しんできたことを、誰かに伝えたいなっていうのはあります。目標を持てば何か良いことがあるっていうことを。誰かを励ます、苦しんでいる人を助けたい。言葉は下手くそですけど、口で伝えたいですね。野球で助けてもらったんで目が良くなれば将来的に野球に恩返しはしたいと思っています。今はこの気持ちを誰かに伝えたいなと。今のうちに苦しんでる、前に進めない人に伝えたいなと考えています。苦しかったですけど、せっかくこういう経験ができたので。(19日の後編に続く)

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2019年12月18日のニュース