「バックトスの名手」鎌田実氏が死去 阪神黄金期に鉄壁の内野陣を形成

[ 2019年8月2日 17:21 ]

鎌田実氏
Photo By スポニチ

 阪神黄金期に鉄壁の内野陣を形成した鎌田実氏が1日、肺がんのため、兵庫県内の病院で死去していたことが2日、明らかになった。阪神球団が発表した。80歳だった。

 今年1月に肺がんを患い、闘病生活を続けていた。

 兵庫県の淡路島出身。遊撃手として活躍した洲本高から1957(昭和32)年、阪神に入団。3年目の59年から二塁手の定位置を獲得し、遊撃手・吉田義男氏、三塁手・三宅秀史氏と「100万ドルの内野陣」を形成した。主に2番打者として62年のリーグ優勝に貢献した。

 63年、米フロリダ州レークランドで行った大リーグ・タイガースとの合同キャンプで見た大リーガーのバックトスを練習を積んで習得。プロ野球で初めてバックトスを導入し名手と呼ばれた。
 67年、近鉄に移籍。70年、阪神に復帰し、71年兼任コーチ、72年限りで現役を引退した。

 引退後はスポーツ用品店経営、テレビ解説者を務めた。93年、鈴木啓示氏(本紙評論家)の近鉄監督就任に伴い、近鉄2軍総合アドバイザー、1軍総合アドバイザーを務めた。

 晩年は少年野球の育成にも尽力し、2002年、淡路島で少年野球教室を開催。09年から神戸市で中学硬式野球カマタ・ベースボール・アカデミー(KBA)を運営。神戸大海事科学部の野球部監督も務めた。高校生の指導にも意欲を示し、14年には学生野球資格を回復していた。

続きを表示

この記事のフォト

2019年8月2日のニュース