「甲子園史上最高の二塁手」から子供たちのヒーローに センバツVが人生の転機

[ 2019年4月1日 09:00 ]

静岡に紫紺の優勝旗をもたらした抜群の守備力は今も語り継がれている
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 【平成センバツヒーロー あいつ今何してる?(9)】新元号発表の1日、常葉学園菊川(現常葉大菊川)OBの町田友潤さん(28)も記念すべき日を迎える。障がい児学童保育施設「放課後等デイサービス グリーピース」の代表。ハンデのある小学1年~高校3年の児童や生徒たちを対象に、親が仕事中の合間に遊び相手などをする施設で、2つめの事業所が静岡県浜松市内にオープンする。事業を展開してわずか2年。「名前も知られているけど、誰にでもできることではない。全て野球のおかげです」と笑顔で感謝した。

 平成の高校球界を彩った二塁手だ。静岡県に29年ぶりとなる紫紺の大優勝旗をもたらした07年(平19)センバツを皮切りに、4度の甲子園で66度の打球を処理(触球113)。球際の強さや守備範囲の広さはピカ一で、いまだに「二塁へ打ったら望みはない」といった好プレー動画集が球児のバイブルになっている。

 日本一となって菊川市へ凱旋した直後、偶然出会った親子連れから記念写真を頼まれた。会話をした少年は障がいを持っていた。常にチビっ子ファンから囲まれていただけに、この時に将来を悟った。「自分が野球で勇気づけられているうちはプレーで頑張り、現役でなくなったらそういう子供たちに直接貢献できることをしたいと思いました」。人生の転機だった。

 「センバツで優勝していなかったらあの少年にも出会えていません。今は本当に充実していて楽しいです」。町田さんの目は甲子園で躍動していた頃のように輝いていた。 (小澤 秀人)

 ◆町田 友潤(まちだ・ともひろ)1990年(平2)6月21日生まれ、沼津市出身の28歳。常葉学園菊川1年秋からレギュラー。2年春から4季連続甲子園出場し優勝、4強、16強、準優勝。3年夏終了後には高校日本代表入り。早大進学も1年で中退し、社会人野球のヤマハで4年間プレー。独身。

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