権藤氏が殿堂入り コーチ転身後に投手分業制導入「自分のような思いしてほしくない」

[ 2019年1月16日 05:30 ]

あいさつする権藤博氏(撮影・郡司 修)
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 中日の新人投手として沢村賞。横浜(現DeNA)の監督としては就任1年目で日本一に輝いた。両方でこれほど華々しいデビューを飾ったのは、他にいない。80歳。遅すぎる印象もある殿堂入りに、権藤氏は照れ笑いした。

 「そのうち入るだろうと思っていたけど、歴代のメンバーを見ると、凄いところに入った。一世一代の晴れ姿と思っています」

 現役時代の鮮烈な投球もさることながら、その後の長い指導者生活こそが自身の真価だと言う。「毎日投げていた権藤は今の俺とは別人」。指導の根底には「自分のような思いをしてほしくない」という願いがあった。

 中日に入団した61年に69試合で35勝。先発44試合で完投32、今もセ・リーグ記録の429回1/3を投げた。翌62年も61試合で30勝。フル回転ぶりは「権藤、権藤、雨、権藤…」という流行語にまでなった。だが、2年間の酷使に右肩は悲鳴を上げる。65年に野手転向する苦渋の決断も実らず、69年に引退した。

 コーチ転身後は自身を反面教師とし「投手の肩は消耗品」と主張。日本ではいち早く投手分業制を導入した。徹底して選手側に立ち、監督との対立もしばしば。異端児のような評価を受けても「権藤イズム」を貫き、投手コーチとして中日と近鉄、監督として98年の横浜を優勝に導いた。

 「30勝したのは自分だけど、コーチで勝てたのは選手がやってくれたこと。運が良かった。運も力のうち…とは申しませんけど」

 功績にふさわしい勲章をついに手にした。 (山添 晴治)

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2019年1月16日のニュース