日大三 悪夢の12回…夏には「もっと打つ」

[ 2010年4月4日 06:00 ]

<日大三・興南>延長12回表1死二塁、吉沢(左)にマウンドを託して一塁の守備に回る日大三・山崎

 【日大三5-10興南】さすがの日大三の強力打線をもってしても、あまりに重い5点だった。39年ぶり2度目の優勝を逃した小倉監督は、悪夢の12回を静かに振り返った。

 「失策?もったいなかったですね。1つアウトを取ればよかったんですが」

 5―5の延長12回1死一塁。カウント1ボールから先発・山崎の暴投で得点圏に走者を背負うと、すぐに動いた。遊撃の吉沢をマウンドに送るなど一挙7人のポジションを入れ替えた。「1点もやれない場面でしたから、ウチで1番球の速い吉沢でいきました」。2四球で1死満塁とされたが、7番・伊礼を狙い通りボテボテの三ゴロに打ち取った。しかし、三塁の横尾が本塁に悪送球し、2者が生還。さらに連打を浴び、決定的な5点を奪われた。父・俊幸さんが39年前の優勝メンバーだった吉沢は親子Vを目指していただけに「悔いが残る」と唇をかんだ。

 昨年10月に部内で新型インフルエンザがまん延。手薄なメンバーで秋季大会を戦った経験から「1人2ポジション」を合言葉に練習を積んできた。甲子園の決勝という大舞台で、温めてきた守備的布陣を思い切って敷いたが、失策したのは捕手とともに動かさなかった三塁手というのが皮肉だった。

 関東・東京の最後の枠に滑り込みでの出場から決勝まで進出。興南の島袋から5点を奪い、1試合平均9・2得点を挙げた。それでも小倉監督はいう。「点を取れなかったからこうなった。もっと打てるようにならないと」。取られたら取り返す。夏までに看板の打撃をさらに磨く。

 ≪山崎 我如古とともに大会記録の13安打≫日大三先発の山崎は12回途中で降板したが、打撃では3回に左前打を放ち、今大会通算13安打とし、興南・我如古とともに大会記録に並んだ。「意識はしてませんでしたけど、並べたことはうれしいです」。入学前に脳腫瘍(しゅよう)の手術を受けたことなど感じさせない大活躍。08年に聖望学園で準優勝した兄・福之さんを超えることはできなかったが「もっと制球力をつけて夏にまた期待です」と雪辱を誓った。

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2010年4月4日のニュース