星野ジャパンメダルなし むなしい惨敗4位

[ 2008年8月24日 06:00 ]

ベンチで頭をかく星野監督

 【北京五輪・野球 日本4―8アメリカ】“最後の五輪”は銅メダルにも手が届かなかった――。星野仙一監督(61)率いる野球日本代表は23日、米国と3位決定戦に臨んだが、3本塁打を浴びるなどして痛恨の逆転負け。悲願の金メダル獲りに挑戦したチームは、2000年シドニー五輪以来2度目となる屈辱のメダルなしの4位に終わった。12年ロンドン五輪では除外が決まっている野球競技。“有終の美”を飾ることができなかった失意のナインは24日に帰国する。

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試合結果


 最低限の目標すら達成できなかった。予選リーグで敗れた米国相手に完敗。ホッとした表情で互いに抱き合う米国ナインの姿を、星野ジャパンはうつろな表情でベンチか見つめるしかなかった。
 「結果は素直に受け止める。選手は必死にやってくれた。金メダルを期待していた日本の野球ファンには本当に申し訳ない。監督の私の力がなかった」と言葉を絞り出した。
 日本がメダルを逃したのは五輪史上2度目。前回シドニーはプロアマ混成で臨んだ大会だったが、今回はオールプロ。アテネでは1球団2人だった人数の上限を撤廃して“精鋭軍団”で挑んだはずの大舞台でキューバはおろか、韓国、マイナー級の米国に1勝もできず3位にすら入れなかった事実が重くのしかかる。
 この試合も序盤は荒木、青木の本塁打攻勢でリードしながら、先発の和田が失点。平凡な飛球をG・G・佐藤が落球するなど、前日の準決勝・韓国戦で敗退した嫌な流れをそのままひきずった。5回に4点を勝ち越されて以降は打線もつながらず、単調な攻撃の繰り返し。劣勢をはね返すだけの“強さ”は星野ジャパンに残っていなかった。
 代表選手は6月下旬に発表予定だったが、選手の故障や不調が重なり7月中旬にずれ込んだ。強化試合はわずか2度。タイブレークを想定した練習もなかった。投手の一部は大会使用球への対応も遅れるなど、チームとしての調整不足は明らか。指揮官も「試合が朝早くだったり夜遅くだったりに慣れて、これが当たり前と思えるようにならないと日本は勝てない。きっちりと調整してきたところが結果を残した」と悔しさをにじませた。
 北京市内のホテルへ戻った星野監督は、全体ミーティングで3コーチとともに「負けたのはオレたちの責任。申し訳なかった」と並んで頭を下げた。そのうえで24人の選手には「これから指導者になった時も、この経験を生かしてもらいたい。精いっぱいやった結果。胸を張って日本へ帰ろう」と声をかけた。
 12年ロンドンで野球競技は除外された。“最後の五輪”で日本野球の威信を世界に示すことはできなかったが、メダルを持ち帰れなかった悔しさを晴らす機会はある。来年3月に第2回WBCが待っている。日の丸を背負った“サムライ”はただひたすらに、勝つしかない。

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2008年8月24日のニュース