釜石にとってのW杯「今は、太陽のように遠くで光っていればいい」

[ 2013年3月14日 12:38 ]

2月の「釜石ナイト」は、日本代表主将の広瀬(東芝=中央)、元日本代表主将のマコーミック氏(右)、ラグビーライターの大友信彦氏がトークイベントを行った

 【連載 ラグビーの町・釜石は今…4】2月27日、東京・高田馬場。「ラグビーダイナー ノーサイドクラブ」には約50人の熱気が充満していた。広瀬俊郎(東芝)、アンドリュー・マコーミック氏(関西学院大ヘッドコーチ)のラグビー日本代表の現・元主将を迎え「クライストチャーチ&東北復興支援チャリティートークイベント」が行われていた。

 主催したのはNPO法人「スクラム釜石」。震災直後に、新日鉄釜石の黄金期を支えた名SO松尾雄治氏をキャプテンとし、釜石シーウェイブス(SW)と釜石市の支援を目的に設立された。店の協力を得て毎月最終水曜日に「釜石ナイト」を開催して約1年になる。この夜は、その特別イベントだった。

 スクラム釜石は、松尾氏らV7戦士を前面に出したチャリティーマッチや募金活動を行う一方、有志スタッフが中心となって、こういった地道な活動も行っている。この日の司会を務めた大友信彦氏(50)は、ラグビーライター。震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市の出身だ。

 釜石出身ではない大友氏だが、釜石には特別な思いがある。「高校、大学の7年間が、新日鉄釜石のV7期間だった。当時は、出身地の近くにも東北にも日本一のものはなかった。新日鉄釜石は励みだった」。その血を引く釜石SWの存続危機に「できることは何でもいいからやろう」と立ち上がった。

 昨年10月、都内で行われた「気仙沼を元気にする会」に参加した時だった。菅沼茂市長の「こっちに来ると震災のことは誰からも見えない」という趣旨の言葉に、がくぜんとした。「震災を忘れていないつもりでいた。何も解決していないのに、過去のものと感じているのかもしれない」と大友氏は感じたという。

 今、大友氏はスクラム釜石の活動を「残りの人生の目標」と言う。「これが何になるかわからない。でも、一人でも多くの人に関心を持ってもらい、被災地への思いを伝える場所をつくれたらいいと思う」と新たにした思いを話した。

 今回、釜石の現状を取材し、あらためて被災住民の心情に触れた。

 大変でしょうが、将来を夢見てW杯誘致の機運を盛り上げましょう。

 それが、被災住民に対して、どれだけ現実を知らない者の言葉であるかを痛感した。ならば、被災していない者にできることは何か。

 「自分ができるかもしれないことをやる。そういう時を、自分は生きているのだと思う」

 W杯の釜石誘致を発案したのはスクラム釜石だった。大友氏のこの言葉に代表される思いを、スタッフは共有している。釜石市民が声高にW杯誘致を言葉にできないのなら、市民ではない自分たちが言えばいい。釜石でW杯を行う意義はとてつもなく大きい、と。

 釜石の仮設住宅に住む古川愛明(よしあき)氏の言葉が思い出される。

 「今は、W杯は太陽のように遠くで光っていればいい」

 スクラム釜石の地道な活動は、「太陽」のように釜石市民の心を支えていくはずだ。

 ◆「ミラクル釜石 子供大使プロジェクト」 1975年に日本選手権を制した明大で主将を務めた笹田学氏(59=経営戦略、人財戦略アドバイザー)が進めるプロジェクト。元ニュージーランド代表オールブラックス主将のアンディ・ダルトン氏と協力し、釜石の生徒17人を15日からニュージーランドに派遣する。盛岡市出身で、横河電機では常務執行役員を務めた経験と人脈を生かし、さまざまな支援活動を行っている。

続きを表示

2013年3月14日のニュース