全盛期は10年…攻撃的プレーと甘いマスクで人気

[ 2011年5月8日 06:00 ]

太平洋マスターズに出場したセベ・バレステロスは青木功(右)の前で一本足打法を披露(1986年)

 バレステロス氏はどこからでもピンを狙う攻撃的なゴルフで70~80年代にかけ人気を集めた。80年代に来日した際にその通訳を務めた常住治秀氏(ハルスポーツプロダクション社長)は「ティーショットをラフに入れたり林に曲げたりしても常に次のショットでピンを狙っていた。彼の中に安全策という言葉はなかった」と話す。

 そして「“難しい所にボールを曲げてもギャラリーはどうやって脱出するんだろうと期待している”“みんなが凄いと憧れるようなプレーをするのがプロなんだ”とよく言っていました」と振り返る。それを象徴していたのが79年の全英オープン。優勝争いをしていた最終日の16番で第1打を右に曲げ、隣接する駐車場の車の下に落とし絶体絶命のピンチを迎えた。しかしグリーンさえ見えない難しい位置から見事に2オンに成功しバーディーを決めメジャー初タイトルを手にした。

 23歳でマスターズを制し、甘いマスクもあってゴルフ界の貴公子と呼ばれた。しかし、人見知りする性格だったのか、常住氏は「どこへ行ってもサイン攻めでいつも憂鬱(ゆううつ)そうな顔をしていた。ある時、ホテルに変装用の帽子と付けひげ、コートを用意して持っていったら大喜びでした。その格好で買い物や繁華街に繰り出しました」と話す。

 早熟の天才らしく全盛期は30代前半まで。中嶋常幸は「体力の衰えやパーシモンからメタルへのクラブヘッドの移行に対応できなかった。いいコーチに巡り合えなかったのが不運だった」と残念そうに話していた。

 ▼P・ケーシー(英国) 彼は欧州ゴルフ界の先駆者。ライダーカップだけでなく米国のツアーでも活躍し、多くのことをわれわれに残してくれた。

 ▼P・ミケルソン(米国) 僕が10代のころに練習ラウンドで一緒に回った。最初は親切じゃなかったけれど、次第に技術を教えてくれるようになり友人になった。それだけに残念だ。

 ▼S・ガルシア(スペイン) 彼はジャック(ニクラウス)やアーニー(パーマー)とは違ったスタイルでゴルフを変えた男。驚くべき選手だった。

 ▼R・ナダル(スペイン=テニス選手) 人生とは残酷なものだ。スポーツ界への貢献度は計り知れなかった。非常につらい出来事だ。

 ▼T・ウッズ(米国) 彼のゴルフにおける創造性と独創性は素晴らしかった。もう誰も超えられないかもしれない。あまりに早い死を残念に思う。心よりお悔やみ申し上げます。(ツイッターにて)

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2011年5月8日のニュース