乙武洋匡氏 ミリ調整で足元支える義肢装具士

[ 2021年9月4日 05:30 ]

義手の採型を行う沖野敦郎さん(左)と乙武洋匡氏
Photo By 提供写真

 【乙武洋匡 東京パラ 七転八起(11)】パラリンピックでは、多くの人がアスリートと一緒に戦っている。義足のアスリートを支える義肢装具士もそんな一人だ。義肢装具士とは、文字通り義肢や装具を製作し、使用者への適合を行うことが認められている国家資格。現在、国内では5000人ほどが活動している。

 四肢のない私がロボット義足で歩行に挑戦していることは以前にもこの連載で触れたが、このプロジェクトにも義肢装具士が参加している。モーターが組み込まれた義足と身体をつなぐソケットと呼ばれる部分を担当しているのが沖野敦郎さんだ。大学時代、何げなく見ていたテレビに映し出されたパラ陸上の映像に魅せられ、義肢装具士という職業を選んだ。

 沖野さんが駆け出しだった頃、日本パラ陸上界のレジェンド、山本篤選手の義足を製作するチャンスが訪れた。だが、結果は散々だった。

 「“こんな汚い義足じゃはけない”とはいてさえもらえなかった。凄くショックでしたけど、一流選手は見た目にもこだわっているんだと勉強になりました」

 そこから沖野さんはこれまで以上に細部にこだわった義足製作に励むようになる。それには、とにかく使用者との丁寧なコミュニケーションを重ねていくことが必要だった。

 「一人一人体格が違うだけでなく、歩けるようになりたい、スポーツがしたいなど、人によってニーズもさまざまなんです」

 私の義足トレーニングでも歩行を注意深く観察してはミリ単位の調整を施し、たちまち不具合を改善してくれる。実に頼もしい存在だ。

 5年前、沖野さんのもとに再び山本選手の義足を手掛ける機会が訪れた。

 「今度ははいてくれて、“まあまあ”だと。悪くないという評価ですけど、悔しさもある」

 だが、今大会、男子走り幅跳びに出場し、39歳ながら自己ベストを叩き出して4位に入賞した山本選手の跳躍を支えていたのは、“沖野製”の義足だった。

 「いつか“沖野さん、これ最高だよ、完璧だよ”って言わせたいですね」

 ◇乙武 洋匡(おとたけ・ひろただ)1976年(昭51)4月6日生まれ、東京都出身の45歳。「先天性四肢切断」の障がいで幼少時から電動車いすで生活。早大在学中の98年に「五体不満足」を発表。卒業後はスポーツライターとして活躍した。

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