渡哲也さん終活 炊き出し鍋処分していた 裕次郎さんが始めた“思い出の道具類”3年かけて

[ 2020年8月16日 05:30 ]

11年、石巻市での炊き出しに参加した(左から)上戸彩、渡哲也さん、舘ひろし
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 俳優の渡哲也(わたり・てつや、本名渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)さん(享年78)が肺炎のため死去したことが発表されて一夜明けた15日、都内の自宅は静まり返っていた。石原プロが故人の遺志として弔問や供花などを断っているためで、訪れる客はいなかった。一方で、石原軍団を象徴する炊き出し巨大セットが処分され、渡さん了承の下、軍団としての終活が進んでいたことも判明した。

 男らしさの象徴だった渡さんの訃報から一夜明け、列島には悲しみがさらに広まった。渡さんの自宅前は弔問客が訪れることはなく、渡さんを慕った石原軍団の舘ひろし(70)や神田正輝(69)らの姿もなかった。

 石原プロ幹部は「渡の遺志として“静かに送ってほしい”ということで、弔問や供花、お供物、香典、弔電などを辞退しています」と説明。自宅には清酒「松竹梅」のCMでも共演を続けた女優吉永小百合(75)から供花が届いたが、幹部は名前が書かれた木札のみを受け取り「頂いたこととさせていただきます」と頭を下げた。関係者は「事務所はつつましかった渡さんを守ろうとしているのでしょう」と語った。

 関係者によると、祭壇の遺影はピンクのポロシャツを着た60~70代の頃の笑顔の一枚。プライベートの写真で選んだのは俊子夫人とみられる。知人は「渡さんは軍団の終活もきっちり進めていたから奥さんにこの写真を…と言っていたかもしれない」と語る。

 石原プロは来年1月での解散を先月に発表。ここへ向け、軍団の象徴でもあった巨大炊き出しセットを渡さん承諾のもとに処分していたことが分かった。石原裕次郎さんが「みんなで同じ釜の飯を食べよう」と撮影現場で始めた炊き出し。渡さんの音頭で被災地でも行い、体にも心にも温かい料理を届けた。道具は5000人分のカレーを作ることができる巨大鍋、1時間で700人分のご飯が炊ける大炊飯器、一度に500本の芋が焼ける巨大やきいも機などを3年かけて手放した。関係者は「裕次郎さんの思いがある炊き出しの道具を処分するのは渡さんにとって断腸の思いがあったはず。それでも軍団の生前整理に努めたのだろう」と思いやった。

 渡さん自身も終活に動いていた。出身地の兵庫県淡路市の高雄山観音寺から2000年2月に法名「萬修院泰然自道居士(まんしゅういんたいぜんじどうこじ)」を授かった。また約5カ月前、一緒に食事をした知人に「最後の食事かも」と話したことも分かった。男らしくけじめをつけるため準備を進め、静かに旅立っていた。

 ▽石原軍団と炊き出し 裕次郎さんが始めた炊き出しはその後、渡さんの号令で被災地支援としても行われた。
 95年の阪神大震災では、発生の翌月にテントに泊まりながら1週間かけて被災地を回った。11年の東日本大震災でも発生の翌月、津波被害の大きかった宮城県石巻市で1週間で1万4000食を提供。16年の熊本地震では渡さんは参加しなかったが軍団が同県益城町で5日間行った。渡さんが焼きそば、舘がぜんざい、徳重聡(42)がカレーを主に担当。渡さんは空気を入れ込んでそばを炒めることから、ふっくらした仕上がりが好評だった。

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