“白衣の歌姫”瀬川あやか 歌手と看護師の二刀流を続けるワケ

[ 2016年12月11日 10:35 ]

看護師の仕事と歌手活動の二刀流で話題の瀬川あやか
Photo By スポニチ

 昼は看護師として患者に寄り添い、夜はライブでファンの心を癒やす。6月にデビューした瀬川あやか(24)だ。アイドル風のルックスと伸びやかな歌声は一服の清涼剤のように爽やか。北海道出身。プロ野球日本一に貢献した日本ハムの大谷翔平(22)ばりの“二刀流”にますます磨きがかかる。

 名作ドラマ「北の国から」の舞台としても知られる富良野で産声を上げた。小さな頃に抱いた夢は2つ。歌手になることと看護師になることだった。両方を実現させたのだから立派なものだ。

 ピアノを習い始めた5歳から音楽に親しみ、歌手への憧れが膨らんでいったのはテレビに映るモーニング娘。がきっかけだった。

 「見よう見まねで歌って踊ってました。幼心に音楽って素敵だなあと思ったんですね」

 一方、看護師への夢は看護助手をしていた母親の姿を見て募らせた。

 「お母さんが勤めていた病院についていったりして看護師さんたちと接する機会が多かった。そんな環境も影響したのだと思います」

 高校は旭川の進学校に進んだ。3年間、富良野から往復4時間かけての通学。中学ではソフトテニス部に所属したが、往復に4時間も取られては高校での部活は絶望的。「でも何かをやりたかったので、茶道部に入りました。週1なので(終わりが)遅くなっても次の日に影響はなかったので」と、やはり根性娘だ。

 高校を卒業して上京。首都大学東京の健康福祉学部看護学科を受験し、見事に合格。「高校も大学も、先生から“おまえ大丈夫か?”と心配されると、逆に“やってやる!”と燃えるタイプ。負けず嫌いが原動力です」

 “二刀流”が本格化するのは入学して間もない1年生の出来事だ。周囲に勧められるままミス・キャンパスコンテストにチャレンジした。「自信ないし、無理無理、と最初は断っていたんですが、運営している団体の人の話を聞くうちに、やってみよう!と」

 準グランプリを射止めた。本選に入る前には既に現在の所属事務所から声が掛かっていたという。「演技を学んだ経験もなかったし…キャラクターを見てくださっていたようです。改めて“何がしたいか?”という段になった時に“実はちっちゃい頃から歌がやりたいと思っていた”という話をさせていただいたのです」

 プロへの道が開けたとはいえ、芸能界で生き抜くのは難しい。重心はやはり看護師に置いていた。「最初から2つやれるなんて思っていなかったし、看護実習中は歌の方はお休みしてました。“さて卒業したらどうしよう?”と悩んでいた時です。自分で体を動かせない患者さんが“ソーラン節”が好きというので、私が♪ソーラン、ソーラン…と歌うと、それに合わせて起き上がることができたのです。元気だった頃の記憶がよみがえったのだと思いました。そういう魅力が音楽にはあるんだと思い、どっちかじゃなくてもいいのかも…と思い始めたんです」

 卒業式前の昨年2月2日に看護師資格の取得を目指して国家試験を受験し合格。「歌もやりたいから、友達と同じような就活はしませんでした。大きな病院だと夜勤とかもありますし、自分で探して電話をかけました」

 採用されたのが、現在、週に3日勤務する都内の病院。芸能活動にも理解を寄せてくれているという。ナース服を着たり、逆にライブ用の衣装を身に着けると自然と気持ちが切り替わるのだそうだ。

 6月に「夢日和」でメジャーデビューし、10月には第2弾「恋の知らせ」を発表。アコースティックギターとキーボードの弾き語りで魅せるライブは年間50本を超える。「大谷君ではありませんが、自分でもどちらかに絞ろうとは思っていません。誰かのために歌も看護もやっていきたい!」

 初もの尽くしだった16年。「来年は看護師の方はより一層のスキルアップ。歌手の方はツアーもやってみたいし、年末はもっと忙しくなっていたい」と17年をにらんだ。

 ◆瀬川(せがわ)あやか 1992年(平4)4月27日、北海道富良野市生まれ。10月19日に発売した2枚目のシングル「恋の知らせ」に収録された「サンサーラ」はフジテレビ「ザ・ノンフィクション」のエンディングテーマに使われている。エフエム北海道で「瀬川あやかの“笑えば委員会”」(土曜後7・30)が放送中。趣味は料理。

続きを表示

この記事のフォト

2016年12月11日のニュース