明大・田中監督の「宗山は春はいないものと思っている」の真意

[ 2024年4月23日 12:30 ]

明大・宗山
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 右肩甲骨を骨折して戦列を離れていた明大・宗山塁主将(4年=広陵)が東京六大学野球春季リーグ戦の東大戦(20日)に3番・遊撃手としてスタメン出場。2安打を放って完全復活し2回戦もフル出場。ネット裏のスカウト陣をほっとさせた。

 2月29日のオープン戦で死球を受け骨折。田中武宏監督は全治3カ月と明かし「春のリーグ戦は宗山はいないものと思っている」と言い続けてきた。3月のオープン戦ではベンチ入りはしたものの出場はなし。リーグ戦直前の4月6日、Hondaとのオープン戦で3番DHとして復帰したものの、慎重な姿勢は崩さなかった。

 報道陣から聞かれるたびに指揮官は「宗山は無理」と言ってきた。この発言を聞くたびに18年秋の主将人事を思い出した。

 秋のリーグ戦が終わり新チームの主将は北本一樹(現東京ガス)が有力だった。三塁手のレギュラーで学業も優秀、責任感もありチームのまとめ役として誰もが認めていた。ところがリーグ戦終盤に肩を脱臼、全治3カ月の重傷を負った。そこで善波達也監督(当時)は主将にエースの森下暢仁(現広島)を指名。「主将をすれば次のステージ(プロ)でも役に立つから」と10番を与えた。

 主将&エースと森下に負担のかかるのを承知で任命した本当の理由を「もし北本を主将にしていたら、きっと肩が治らないのに主将の責任感から無理をしてしまう。それを避けたかったんです」と話した。北本は副主将として、学生コーチの川村勇斗(現東京六大学審判員)らも森下を支え38年ぶりに全日本大学野球選手権を制覇した。

 今回の宗山の場合も、もし田中監督が「開幕には間に合って欲しい」と言えば、主将の責任感から完治しなくても練習を続け出場を直訴しただろう。次のステージのある選手。指揮官は“春は無理”を強調することで宗山に時間を与え完治までじっと待った。そして「プロでも宗山と同じ個所を痛め、無理をして悪化させ選手寿命を縮めたケースを知っていますから」と話した。

 死球を受けた2月29日から復帰した4月6日までの36日間に宗山は「違った角度から野球を見られた」と決してムダな時間ではなかったことを強調した。今週は前半の山場となる早大戦。過去3年間の同カードは14試合、54打数28安打、3本塁打、16打点の打率・519と驚異的な数字を残している。通算100安打まであと3本。侍JAPANの井端弘和監督が絶賛する守備、そして田中監督の思いも背負って伝統の一戦に臨む。(落合 紳哉)

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