黒木知宏氏にとって“七夕の悲劇”は「財産」 胸に誓っていたロッテへの恩返し

[ 2022年10月18日 05:20 ]

98年7月7日、9回2死から同点2ランを浴びマウンドで涙を流す黒木(中央)
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 ロッテ時代、黒木知宏氏が「魂のエース」と呼ばれるきっかけは「七夕の悲劇」だった。プロ野球ワーストの17連敗を喫した98年7月7日のオリックス戦。9回2死一塁からプリアムに同点2ランを浴び、泣き崩れた。

 ベンチ裏でも涙が止まらない。流した汗と涙。疲労感と虚脱感。脱水症状となり、右腕をけいれんさせて引き揚げる姿は、記者の目に焼き付いて離れない。黒木氏自身も一番の思い出に挙げる試合。「財産にしなきゃいけない。野球の怖さや素晴らしさを伝えたい」と漏らし、古巣に恩返ししたい思いも聞いた。

 闘志を全身にみなぎらせて指先まで伝え、投げた球は簡単には打たれない。魂のこもった投球というが、黒木氏ほど似合う男はいない。当時、同学年のイチロー氏も一番対戦したい投手に挙げていた。

 これも何かの縁だろう。「七夕の悲劇」から6カ月後の99年1月に長女が誕生。同年は開幕からポケットに愛娘の写真をしのばせ、勝つと最高にうれしそうだった。その長女は今季からロッテ公式チアパフォーマー「M☆Splash!!」に「MEI」として加入。親子の「ロッテ愛」は純真無垢(むく)だ。(98年ロッテ担当・飯塚 荒太)

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2022年10月18日のニュース