元ヤクルト・近藤一樹が切に願う石川雅規の200勝「1試合でも多く、1年でも長く投げてほしい」

[ 2022年10月18日 12:04 ]

ナインを出迎える近藤一樹投手(右)と、通算160勝を挙げた石川雅規投手(2018年撮影)
Photo By スポニチ

 「最後の近鉄戦士」と呼ばれたヤクルト・坂口智隆外野手(38)が、今季限りで現役を引退し、ついに近鉄戦士がNPBプレーヤーから姿を消した。時代の流れを悲しむファンも多いが、まだ投手として投げている近鉄戦士がいる。四国アイランドリーグplus・香川で兼任コーチとして活躍する近藤一樹投手(39)だ。今季は13試合に登板し、なんと無失点の防御率「0・00」。注目の来季去就についてインタビューしつつ、親交のあるヤクルト・石川雅規投手(42)についても語ってもらった。

 古巣のヤクルトが、今年も日本シリーズに進出した。日本一連覇の掛かるチームに対して、近藤が切に願っているのが石川の快挙だ。01年ドラフトの同期生。年齢は4つ違うが、ドラフト同期はどこか気になる存在でもある。「1年目からずっと活躍して、来年で22年目。すごいですよね」。お互いにドラフト同期であることは知っていたというが、やはり急速に仲が深まったのは、近藤のヤクルト移籍後だった。

 ヤクルトでリリーフに回った近藤は、幾度も、石川の後を受けている。「石川さんのランナーは絶対に還したらいけない。そんな気持ちで抑えてました」。誰かのために投げる。それは、より力を発揮する要因だったかもしれない。毎回、ピンチを抑えてベンチに戻る近藤に「ごめん」と石川が声を掛ける。「ありがとうございます。今の僕の仕事はここなので、大丈夫です」。こんなやり取りが、いつもうれしくて、近藤はその度、力を発揮した。気がつけば、いつも近藤は石川の側にいた。

 「本当にいつも誘って頂きましたね。プライベートでも、練習でも、声を掛けて頂いて、いつも食事に誘ってくれたし、すごく面倒を見てもらいました。石川さんは自分中心になりすぎず、常に周りを見ていた方です」

 そんな石川のすごさは、側にいて、キャッチボール相手を務めたからこそ分かったという。「すごいビックリする球筋を投げます。感動する。だから抑えれるんだ、という球を投げるんです」。お世辞にも、石川の球が速いとは言えない。急速は平均130キロ台中盤から後半だろうか。近藤は笑いながら、否定する。

 「画面上で見ている人は、135キロで何で打てないんだろう、と思うけど、実際に体感するキャッチボールでは“なるほど”な、と。ボールにしっかり伝わる。どこに投げるから、こういう軌道。球筋がこれぞ、一流ですね」

 何が違うのか、「言葉にするのは難しい」という近藤だが、とにかく「違いますね。回転力というか、ボールに対しての力の加え方。もう、投げる人だな、と。職人的といいますかね」。それは、捕手や対戦する打者も同じ意見かもしれない。「参考にすることもたくさんあるし、1年目から今まで活躍できた理由も知りたい」と、コーチ兼任ならではの顔も見せた。

 福留、能見が引退したことで、来季は球界最年長選手になる。「183でしたよね」。今季の6勝を加えて、石川は通算183勝になった。さすが、自分の記録のように近藤は知っていた。もちろん、その先に200勝があることも知っている。

 「200にチャレンジできる可能性がある限りは、1試合でも多く、1勝でも多く、1年でも長く投げてもらいたい。僕が偉そうには言えないですけど、やっぱり投げてほしい。一ファンとして、応援する立場では余計に思います」

 ダルビッシュや田中将など、日米通算で200勝を目指す時代。名球会入りの投手のハードルは、時代の変化と共に高くなった。NPBだけでの200勝は、今後もなかなか見られない価値あるものだ。「今まで勝てなかった時も投げている。石川さんには絶対に200勝してほしい」。石川が入団後、ヤクルトが最下位に沈んだことも6度ある。長年支えてきた勲章が、最後は「200勝」として残ることを、近藤は切に願っている。

 ◆近藤 一樹(こんどう・かずき)1983年(昭58)7月8日、神奈川県出身の39歳。日大三から01年ドラフト7巡目で近鉄入り。04年オフの分配ドラフトでオリックスに移籍し、08年自己最多の10勝。11年以降は右肘故障に苦しみ、14年オフの育成選手を経て、翌年4年ぶりの復活勝利。16年途中にヤクルトに移籍し、18年には球団タイ記録となる74試合に登板、最優秀中継ぎ投手賞のタイトルを獲得した。NPB通算347試合、43勝57敗、4セーブ、71ホールド。右投げ右打ち。

続きを表示

この記事のフォト

2022年10月18日のニュース