イチロー氏「大輔はともに競い、高め合えたと思える唯一の投手」引退松坂に感謝

[ 2021年7月8日 05:30 ]

西武・松坂大輔 今季限りで引退

99年5月16日、イチローVS松坂「平成の名勝負」第1Rはイチローに松坂が完勝
Photo By スポニチ

 マリナーズのイチロー会長付特別補佐(47)は、短いコメントで松坂への思いを語った。「大輔は、初対戦の3三振から22年間、僕にとってともに競い、高め合えたと思える唯一の投手だった」。松坂にとって、背番号51が特別な存在だったように、イチロー氏にとっても「平成の怪物」と呼ばれた男は唯一無二の存在だった。

 名勝負の始まりは、1999年5月16日。5年連続首位打者に君臨していた天才打者は、18歳の前に3打席連続三振を喫した。試合後、松坂は「自信から確信に変わった」の名言を発した。ほとんどの投手が勝負を避けるような状況に嫌気が差していた時期。7歳年下のルーキーに新たな闘志をかき立てられ、通算100号は松坂から狙って打った。その後は海を渡り、最高峰の舞台であるメジャーでも対戦した。対戦成績は日米通算で61打数15安打1本塁打、打率・246。そこには結果を超越した2人だけの「会話」があった。

 ともに日の丸を背負い、世界一も経験した。WBCでは06、09年と投打の主力として2連覇に貢献。その後、成績が低迷し、故障に苦しんだ松坂の心の中には常にイチロー氏がいた。日本球界復帰となった14年12月のソフトバンク入団会見では、前日に神戸を訪れて報告。「イチローさんの存在をいつまでも追い掛ける」。それが復活へのモチベーションとなっていた。

 最後の対戦は12年10月3日。イチロー氏は19年3月に現役を引退した。「イチローさんがいたから今の僕がある。できることならば、もう一度投げたかった」。その際、松坂は感謝を述べた。2年後。ユニホームを脱ぐ松坂へ――。「ありがとう。お疲れさまでした」の言葉で締めた。

続きを表示

この記事のフォト

2021年7月8日のニュース