プロ初勝利、巨人・田中豊という男 特技は「股割り」、日本ハム時代の愛称は「親方」

[ 2020年8月19日 22:57 ]

セ・リーグ   巨人8―0阪神 ( 2020年8月19日    東京D )

日本ハム時代に「股割り」を披露した田中豊
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 1メートル80、98キロ。巨人・田中豊は分厚い胸板と丸太のように太い腕が印象的だが、短髪に優しいまなざしはどこか親近感を抱かせる。

 2016年1月。日本ハムの新人合同自主トレで初めて取材した時のことを鮮明に覚えている。特技が「股割り」と聞き、「写真撮らせてもらえる?」と依頼すると、勇翔寮の駐車場ですぐに披露してくれた。練習直後の疲れている時に無茶ぶりをしたと今でも反省しているが、出てくる話が全て面白かった。

 大学4年の春季リーグ戦後に10日間の「股関節中心の合宿」なるものが行われ、わずか3日目で「股割り」を習得。これまで故障歴がないという丈夫な体に柔軟性が加わり「自然と半歩くらいステップが広がって球持ちが良くなった」。当時最速152キロの直球の体感速度がさらに増したという。「股関節(の柔軟性は)は一番自信がありますね」と語り、「風邪を引いたこともあまりありません。高校の時に一度、インフルエンザにかかったくらいですね」と話す表情も真剣だった。

 当時はドラフト1位の上原(明大)、同3位の井口(東農大オホーツク)、同7位の吉田侑(東海大)の大学日本代表トリオの同期生に隠れ、どちらかというと地味な存在だった。だが、田中豊も日本文理大2年時に日米大学野球の日本代表に選ばれたことがある実力者。入団時は勝手ながら寡黙な性格のイメージだったが、取材すると負けん気の強さやコメント力の高さが目を引いた。

 当時、同じリリーフで大先輩の武田久(現日本製鉄東海REXの投手コーチ)から「親方」と呼ばれ、一時その愛称がチーム内で浸透していた。田中豊は「雰囲気的にあるらしいです。初めて言われましたし、いつの間にかファーム全員に広まっていました」とどこかうれしそうだった。その後、兄貴分キャラと名前の豊樹をかけて「トニキ」と呼ばれるようになったと聞いたが「親方」もなかなか捨てがたい良い呼び名だったと思う。

 2018年オフには一度、食事する機会にも恵まれた。車の話でひとしきり盛り上がり、後日に会うと「あの車、盗まれたんですよ!」と笑い飛ばしていた。本当は落ち込んでいるのにも関わらず、明るく笑いに変える。人懐っこく、どこか昭和の匂いがする豪快さも感じさせた。

 19年シーズン終了後に日本ハムを戦力外。同年の12球団合同トライアウトを経て巨人に育成選手で入団し、今季支配下登録されたばかりの苦労人だ。田中豊の人柄ならきっとどんな環境でも愛されることだろう。次に会う時は今はどんなニックネームでナインから呼ばれているのかぜひ、聞いてみたい。(14~17年日本ハム担当・柳原 直之)

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