初対面から6年 栗山監督「凄く短かった」大谷と歩いた二刀流の道

[ 2017年11月12日 07:20 ]

入団会見で栗山監督(右)にユニホームを着させてもらう大谷
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 いつまでも心配は尽きない――。ついに大谷がメジャー挑戦への思いを自ら語る日が訪れ、日本ハム・栗山英樹監督(56)の胸には何が去来したのか。11年に初めて出会ったときには、監督として「二刀流」大谷を育てるとは思わなかった。濃密な5年間を経て迎えたこの日、栗山監督は会見に臨む大谷の姿を会場の陰からひっそりと見守っていた。

 会見場となった日本記者クラブ。まばゆいフラッシュを浴びる大谷を、栗山監督は別室から見ていた。監督として「二刀流」大谷と歩んだ5年。その濃密な日々を「凄く短かった」と振り返る。思い出はあり過ぎるほどある。でも、それ以上に「毎日が心配だった。こんなに心配したことはない」と続けた。毎日のように何かが起こり、一つ一つに対処し、それでも心配は尽きなかった。

 誰も行かない道を行こうと決め、貫いた二刀流。常に「これでいいのか」と自問自答し続け、投手と打者でメジャー挑戦するまでになった。でも、ここまで来たという思いは全くなく、ここからがスタートだという。

 初めて会ったのは11年4月。監督になる前に取材した西武・菊池に「僕より凄いのがいますよ」と聞き、花巻東まで行った。その年の夏、気仙沼向洋との練習試合に登板した大谷のボールの角度に驚いた。「右打者の外角低めにこんな角度の球を投げる投手がいるのか」と。投手としての大成を確信し、甲子園の帝京戦(1回戦)で左翼フェンス直撃の二塁打を見た。「打者でもいける」。二刀流の可能性を感じたのはこのときだ。ただ、まさか自分自身が監督になり、大谷が入団して二刀流をやるなんて、思いもしなかった。

 あれから6年たった今年、あるインタビューで大谷が「(プロ5年間で)二刀流ってできるんだということを学びました」と答えたという。その二刀流でメジャーに行くことに意味がある。「世界一の選手にしたい。なれると信じている」。そんな思いで育ててきた愛弟子がこれから自らの手を放れ、見守るだけの立場に変わる。ただ、その視線の遠く先にいる大谷へ、栗山監督の心配は今後も尽きることはない。 (秋村 誠人)

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2017年11月12日のニュース