あの人たちの今

[ 2017年3月18日 10:30 ]

会見するドミニカ共和国のトニー・ペーニャ監督
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 【我満晴朗のこう見えても新人類】ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本VSオランダ戦(3月12日)をテレビ観戦していたら、オランダのベンチに「BLYLEVEN」の文字がつづられたユニホームを発見した。バート・ブライレベン投手コーチ。えっ、もしかして、あの有名な?

 中継アナウンサーが「殿堂入りした大投手です」と短く紹介した通り、MLB通算287勝250敗、防御率3・31と堂々たる成績の持ち主だ。メジャーでは珍しいオランダ生まれの選手として知る人ぞ知る存在。当時の専門誌では「ブリールベン」とか「ブライルベン」など表記がバラバラだったことまで思い出す。

 年齢を調べたら65歳。日本戦では継投に必死で眉間のしわが深く、どことなく悲愴(ひそう)感が漂っていた。弱かったツインズやインディアンスで孤軍奮闘していた現役時代のイメージがダブってしまう。

 WBCでは他チームの首脳陣にもかつての名選手が多い。ベネズエラのオマー・ビスケル監督(49)はマリナーズ、インディアンスなどで好守を誇る遊撃手だった。米国代表では1984年ワールドシリーズMVPのアラン・トランメル(59)=元タイガース=がコーチ登録されている。通算2365安打、打率・285と強打の遊撃手だ。同じ米国コーチにはヤンキースなどで渋く活躍したウィリー・ランドルフ(62)の名もある。主に二塁手として通算2210安打をマークし、ヤンキースの黄金時代を支えた。

 各チームのリストを眺めていると、さらに懐かしの名を発見。メキシコの投手コーチアドバイザーはフェルナンド・バレンズエラ(57)だ。ご存じ元ドジャースのエース左腕。投球する際に上空を見上げる独特なフォームが印象的で、81年にはサイ・ヤング賞にも輝き「怪童」のニックネームを持っている。

 おっと。ドミニカ共和国にはトニー・ペーニャ監督(59)もいるぞ。パイレーツを中心にプレーした強肩捕手。彼の場合、86年の日米野球で来日した際の出来事は今でも絶対に忘れない。

 あれは今はなき平和台球場(福岡)だった。日本が2死二塁のチャンスをつかんだ場面。投球をキャッチしたペーニャは通常通り投手に返球…というところでスコアブックに視線を落とし、再びフィールドに目を戻すと、なぜか守備についていたはずのメジャーリーガーがベンチに引き揚げ始めていた。

 ザワザワしている記者席でオロオロしながら「何があったんですか?」と隣の先輩記者に尋ねると「よく分からないが…どうも二塁走者がアウトになったみたいだ」との答え。その先輩もけげんな表情だ。後でVTRを確認してびっくり。なんとペーニャは座ったまま二塁に送球し、安心しきっていたランナーを余裕で刺していた…。

 なんて昔のエピソードを思い出せるのもWBCのおかげかな?このままどこかで(決勝とか)日本VSドミニカ共和国の対戦が実現した暁には、当時の二塁走者・落合博満さん(中日前GM)に感想を聞いてみたい気がする。(専門委員)

 ◆我満 晴朗(がまん・はるお)1962年、東京都生まれ。ジョン・ボンジョビと同い年。64年東京五輪は全く記憶にない。スポニチでは運動部などで夏冬の五輪競技を中心に広く浅く取材し、現在は文化社会部でレジャー面などを担当。たまに将棋の王将戦にも出没し「何の専門ですか?」と尋ねられて答えに窮する。愛車はジオス・コンパクトプロとピナレロ・クアトロ。

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