広島V目前!病に倒れた「炎のストッパー」抜きには語れない25年前の優勝

[ 2016年9月6日 08:45 ]

脳腫瘍で死去した「炎のストッパー」津田恒実

 【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】12球団で最も優勝から遠ざかっていた広島が「生みの苦しみ」を味わうことなく、超安産Vに突き進んでいる。8月24日に20で点灯したマジックは9月4日現在、アッという間の4。点灯以降、8勝2敗と勢いを加速させているのに対し、2位の巨人は集中力の欠けた試合を続けて1勝8敗。でなきゃ、こんなに早くマジックは減らない。

 順調にいっても9月中旬と思っていたゴールイン。最短9月7日となれば、1990年巨人の9月8日を1日上回る2リーグ分立後の最速優勝になるという。地元各デパートの優勝セールは準備が間に合うのだろうか。なにしろ前回の優勝は四半世紀前。前回のVセールを担当した職員はどれだけ残っているのだろうか。

 余計なお世話のついでに、前回の優勝を振り返る。山本浩二監督就任3年目となる91年。カープは開幕早々、大きなアクシデントにみまわれる。4月14日の巨人戦(広島)。1―0で迎えた8回、先発の北別府学からバトンを受けた抑えの津田恒実があっさり同点とされ、なおも無死一、二塁のピンチを残して降板した。急きょマウンドに登った大野豊が岡崎郁に適時打を許して逆転負けを喫する。

 わずか9球で降板した津田は試合後、体調不良を訴え、投手コーチの池谷公二郎に「2軍に落として下さい」と申し出る。翌日、広島大学病院で精密検査を受け、「悪性の脳腫瘍」という無情の診断が下った。がん告知が今ほど進んでいなかった時代。本人に知らせるわけにはいかない。球団は同じ脳の病気で阪神ランディ・バースの長男ザクリー君が克服した「水頭症」と発表した。

 大野とのダブルストッパー構想がいきなり崩れたチームは乗っていけない。選手は津田の病気についてうすうす気づいているらしい。首位中日に7ゲーム差つけられた7月上旬、山本監督は選手に真実を伝え、最後にこう呼びかけた。

 「ツネのためにも頑張ろうじゃないか」

 左肘に爆弾を抱えながら一人ストッパーとなった大野は「自分だけじゃない。何か別の力が後押ししてくれるような感覚だった」と振り返る。チームはじりじりと中日を追い上げ、9月10日、1ゲーム差で敵地ナゴヤ球場に乗り込んだ。直接対決3連戦初戦。2点の先行を許しながら6回に追いつき、8回に勝ち越した。3―2。まさに今季のような逆転勝ちで首位の座を奪うと5―3、17―5で3連戦3連勝。その勢いのまま10月13日、歓喜のゴールを迎えるのである。

 「ひょうきんで誰からもかわいがられる人気者でな。ツネに対する思いがチームをひとつにまとめてくれた。ツネがみんなの心の中で一緒に闘ってくれたんや」

 優勝した時点では口に出来なかった話。山本浩二さんから聞いたのは、93年7月20日に帰らぬ人となった「炎のストッパー」が2012年1月、野球殿堂入りしたときだった。(特別編集委員)

 ◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年、岡山市生まれ。早大卒。東京の予備校に通っていた74年10月、冬期講習申し込みの列を離れて後楽園球場に走り、長嶋茂雄最後の雄姿に涙する。82年の巨人を皮切りにもっぱら野球担当。還暦を過ぎ、学生時代の仲間と「バンドやろうぜ」で盛り上がっている。

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