東北勢初Vへあと1勝!光星「特別な夏」に決める

[ 2011年8月20日 06:00 ]

<作新学院・光星学院>作新学院打線を6安打完封した秋田

第93回全国高校野球選手権大会準決勝 光星学院5―0作新学院

(8月19日 甲子園)
 さあ決勝だ!光星学院(青森)は準決勝で作新学院(栃木)を5―0で撃破。エース秋田が6安打10奪三振で完封勝利を収めた。青森県勢では、太田幸司擁する69年の三沢以来42年ぶりの決勝進出。今年3月に東日本大震災が起こり「特別な夏」の大会。悲願である春夏通じての東北勢初優勝へ、20日の決勝戦で日大三(西東京)と対戦する。

 本塁のバックアップに走りながら、秋田は祈った。「アウトにしてくれっ!」。9回2死一、二塁。完封まであと1人の場面で右前打を浴びた。二塁走者が勢い良く本塁へ。右翼手は強肩の沢。ダイレクト返球が捕手のミットに納まる。その約5メートル後ろにいたエースは、主審のコールより先に右拳を真横に突き出した。

 「最後は勝ち急いでしまった。右翼からいい返球が来てうれしかった。低めに球を集められたのが1番。出来過ぎです」

 6安打10奪三振。甲子園では今春センバツの水城(茨城)戦以来、自身2度目の完封勝利だ。丁寧に、低めに。カーブを多投し、強打の作新学院打線の的を巧みに外した。青森大会後には、高く上げていた左足を腰の高さで抑えるフォームに修正。制球力が格段にアップした。3回1死二塁のピンチでは雨が激しくなり、1時間32分の中断。「監督からは気持ちだけは切らすなと言われた。戦う気持ちだけは持ち続けた」。秋田はベンチで捕手の松本と配球などを復習。再開後、残りの2アウトを冷静に奪った。

 大阪・河南シニア時代から野球に対してひたむきに、真面目に取り組んできた。本来なら中学3年生は8月で引退するが、秋田はその後も下級生と一緒に3月まで練習を続けた。スタンドで見守った同シニアの福田正穂監督は「努力家で、こちらが何も言わなくても黙々と走っていた。甲子園に出るんだ、という気持ちを強く感じた」。大阪を離れて3年。夢は大きく膨らみ、もはや自分だけの夢ではなくなった。

 東日本大震災が起きた年の、特別な夏の大会。青森県勢の決勝進出は69年の三沢以来、実に42年ぶりだ。東北勢悲願の初優勝まであと1勝。過去に大越(仙台育英)やダルビッシュ(東北)らも届かなかった快挙は、いよいよ目前だ。「最後なので東北代表として頑張ります」と秋田。青森、そして東北の夢をかなえるために。新たな歴史の1ページを、その右腕で書き加える。

 ◆秋田 教良(あきた・のりよし)1993年(平5)6月30日、大阪府生まれの18歳。小学4年時に太子ジュニアで野球を始め、太子中では河南シニアに所属。投手としてチームを夏の関西大会優勝に導いた。光星学院入学後は2年秋からエース。今センバツでは初戦で水城を完封したものの、2回戦で智弁和歌山に2―3で惜敗した。1メートル75、80キロ。右投げ右打ち。

 ▼光星学院・北条(初回1死満塁で先制の左前打)チャンスで応えられなければ、5番として失格。秋田さんを援護するためにも打ちたかった。

 ▼巨人・坂本(07年卒OB)決勝にいって凄いうれしいし、優勝して東北に優勝旗を持ち帰ってほしい。(エースの)秋田君は良い投手だと思う。3年生は甲子園で最後の試合。楽しんで悔いのないようにやってほしい。

 ▼太田幸司氏(69年三沢で決勝進出。現日本女子プロ野球機構スーパーバイザー)私たちの頃は盆と正月が一緒に来たような感じの快進撃でしたが、今は青森県や東北の高校も勝てる力を持っている。先に北海道に(優勝旗を)持っていかれたし、いつまでも言われるのもシャクですから。そろそろ勝ってほしい。今年は震災があった特別な年。青森だけでなく東北のためにも頑張ってください。

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2011年8月20日のニュース