若嶋津死去で角界に悲しみ 二所ノ関親方「本当に寂しい」 一山本「拾ってくれて…」

[ 2026年3月17日 04:30 ]

86年、北天祐(手前)を寄り切る若嶋津
Photo By スポニチ

 「南海の黒豹(ひょう)」の愛称で人気を誇った大相撲の元大関・若嶋津で元二所ノ関親方の日高六男(ひだか・むつお)さんが15日午前11時34分、肺炎のため千葉県内の病院で死去した。69歳。鹿児島県出身。9年前の秋に倒れて頭部手術を受け、療養生活を続けていた。通夜は23日午後6時、葬儀・告別式は24日午前10時から、いずれも千葉県市川市市川1の12の4、昭和セレモニーシティホール市川で営まれる。喪主は妻みづえさん。幕内は関脇・霧島、平幕の琴勝峰、豪ノ山が1敗を守った。

 日高さんの死去から一夜明けた16日、角界関係者は深い悲しみに包まれた。

 放駒親方(元関脇・玉乃島)は14年に片男波部屋から転籍し、部屋付き親方として日高さんを支えた。5年前に弟子を引き継ぎ放駒部屋を再興。「葬儀などが現実のものとなり昨日よりも受け止めができない」と悲しさを隠しきれない様子だ。思い出を振り返ると徐々に涙が頬を伝わり「たくさん勉強させていただいた。怒り方も愛情があったし優しさもあった。絶対に(遺志を)引き継いでいきたい」と誓った。

 二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)は21年12月に「荒磯」との名跡交換で一門の大看板を受け継いだ。当初はかなりの重圧はあったと漏らし「親方の計らいでありがたかった」と感謝。現役時代には一門の連合稽古で愛のある激励の言葉をかけられ、横綱昇進で恩返しをした。「大変お世話になりました。いろんなアドバイスもらいました。本当に寂しい」としのんだ。

 日高さんが入門時の師匠だった現役力士は放駒部屋の5人。うち3人が9日目の土俵に上がった。

 錦木に寄り切りで敗れた十両・島津海は「まだ整理がついていない。自分にとって一番の原動力でした」と言葉を絞り出すとタオルで大粒の涙を拭った。今場所は初日から新調した「黄」の締め込みを使っていたが、3日目から5連敗した後に若嶋津カラーの「緑」に戻すことを決めていた。くしくも緑に戻した日に師匠が天国に旅立つ運命の巡り合わせ。「最期の日につながったというか、縁を感じます」と話した。

 一山本も伯乃富士との1分41秒の熱戦の末に惜敗した。公務員から角界入りした異色派は「何の実績もない23歳の俺を拾ってくれて…、入門できたのは師匠のおかげ」と感謝。新十両会見で日高さんに「三役まで上がってくれると思う」と期待をかけられており「三役を目指して土俵を続けたい」と恩返しの出世を誓った。三段目の道轟(どうごう)も敗れ、弟子3人はそろって黒星となったが、「前に出ろ」が口癖だった日高さんの遺志を受け継ぐ覚悟を心の中に刻み込んだ。

 ≪元太寿山&元霧島 同期が思い出語る≫日高さんと75年春場所初土俵の同期2人が思い出を語った。元大関・霧島の陸奥親方は「出世が早かった。自分が幕下の時。大関ですから」。交流ができたのは引退後、お互いに部屋を持ってから。ゴルフを共にし、「楽しかった。せっかちでしたね。でも優しかった」と振り返った。元関脇・太寿山の花籠親方は二子山部屋へ1週間早く入門。晩年は酒の飲めない陸奥親方と3人、コーヒー片手に語り合ったという。「兄弟以上の存在。50年一緒ですから」と語った。

 ▼八角理事長(元横綱・北勝海) 具合が悪いとは聞いていて、4月にお見舞いに行こうと考えていた。相撲は気が強いが、土俵を離れると優しい。審判部長も務めていただいて嫌なこと言わずにやってくれて本当に助けられた。

続きを表示

この記事のフォト

「若嶋津」特集記事

「羽生結弦」特集記事

スポーツの2026年3月17日のニュース