【フィギュア】千葉百音 東日本大震災の経験を心に刻む 拠点移した今も「宮城大好きです」

[ 2026年3月11日 05:00 ]

ミラノ・コルティナ五輪女子フリーで演技をする千葉百音
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 東日本大震災から15年。仙台市泉区出身でフィギュアスケート女子の千葉百音(20=木下グループ)が単独インタビューに応じた。幼稚園に通っていた5歳の時に震災を経験。ミラノ・コルティナ五輪で4位となったスケーターは、当たり前にある日常への感謝、そして生まれ故郷の東北に対する思いなどを語った。(取材・構成 西海 康平)

 「3・11」への思いを問われると、千葉は「絶対に忘れられない出来事」と語り始めた。東日本大震災を経験したのは幼稚園に通っていた5歳の時。当時の記憶は鮮明だ。「仙台にいても京都にいても、毎年この時期になると必ず震災のことを思い出す。15年がたったけど、自分の中に大きく残っている」。高校3年になった春から京都に練習拠点を移しても、故郷を襲った大災害は脳裏に焼き付いている。

 あの日、スケートを始めて1年あまりだった千葉は母と車中にいた。リンクへと向かう途中、一緒にスケートを習っていた兄を迎えるために小学校の前で停車している時だった。物凄い揺れを感じ、その後も激しい揺れに遭った。母に促されて車から出て、近くにいた人たちとしゃがんで避難。目の前の地面が揺れており「凄く怖かったのを覚えている」という。

 震災で生活は一変した。自宅は20~30カ所に亀裂が入り、しばらくはライフラインもストップした。「家族全員で和室の一部屋に集まって、余震におびえながらヘルメットをかぶって生活していた。電気も水道も止まっていたので、日の出とともに起きて、日の入りとともに寝るような感じだった」。震災から2カ月がたった頃。家の前に出て、余震に注意しながらローラースケートで遊んだ。

 スケートの拠点としていたのはアイスリンク仙台。羽生結弦さんと同じ場所で、小さい頃は「ゆづる兄ちゃん」と呼んだ羽生さんに鬼ごっこをして遊んでもらったこともある。震災の影響でリンクは約4カ月、閉鎖。営業が再開された時は「滑るのが大好きだったので、氷に戻ることができて凄く楽しかった」と喜んだ。一方で、同じリンクで練習する人の中には津波の被害に遭った方もいたと聞いた。

 「震災を経験した時はまだ深刻さがあまりよく分からない年齢だった」という。ただ、年を重ねるにつれて、不自由なく流れる毎日がどれだけ貴重かを痛感するようになった。

 「思うように競技ができない人もたくさんいる中で、いかに自分たちが恵まれているか。この環境で練習できていることを奇跡というと大きく聞こえるかもしれないけど、本当に当たり前じゃない。自分の好きなことをできる環境が整っていることに感謝しないといけない」

 日々をかみしめるとともに、心に刻まれているのが故郷への愛だ。「(自分は)仙台っ子。一番落ち着く場所だし、緑も豊かで自分にとっての帰る場所。宮城、大好きです」。東北への思いも抱きながら、これからも滑り続ける。

 ≪五輪経て「ピークここからだ」≫千葉は現在、シーズン最終戦となる世界選手権(24~29日、プラハ)に向けた調整を進めている。初めて出場したミラノ・コルティナ五輪は4位。夢舞台の閉幕から2週間あまりが経過し「あの場で自分の演技をしっかりできたこと。素晴らしい経験になった」と振り返る。

 手応えを得た一方で、さらに上を目指すきっかけにもなった。小さい頃から憧れてきた五輪。「終わったら“やりきった”っていう感情になるのかなと思っていたら“まだまだ成長していける”と思えた」という。「そのギャップが意外だった」といい、変わらず高いモチベーションで練習を継続している。

 「今季は五輪にピークを持っていく気持ちでやっていたけど、世界選手権を見据える今の状態でいくと“私のピークはここからだ”という気持ちでやっている」。SPの「ラストダンス」、フリーの「ロミオとジュリエット」の集大成と位置づける今大会。「一番いいものをお届けしたい」と決意を口にした。

 ◇千葉 百音(ちば・もね)2005年(平17)5月1日生まれ、仙台市出身の20歳。4歳だった09年12月からスケートを始める。21年4月に東北高に進み、24年4月に早大人間科学部の通信教育課程に進学。24年の四大陸選手権優勝。25年の世界選手権3位。今年2月のミラノ・コルティナ五輪は4位。身長1メートル56。趣味は読書、刺しゅう。

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