【フィギュア】佐藤駿「言葉がない。表彰台に乗れるとは」病床から見た北京五輪 大逆転でメダル獲得

[ 2026年2月14日 07:45 ]

ミラノ・コルティナ冬季五輪 第8日 フィギュアスケート   男子フリー ( 2026年2月13日    ミラノ・アイススケートアリーナ )

銅メダルを手にし、万感の表情を浮かべる佐藤(右)=ロイター

 フィギュアスケートの男子フリーが13日(日本時間14日)に行われ、佐藤駿(エームサービス・明大)がSP9位から大逆転での銅メダルを獲得した。

 冒頭に大技の4回転ルッツを決め、その後も連続ジャンプなど高いレベルの演技を披露。挑戦するプランもあった4回転フリップは回避したが、日下コーチもガッツポーズした内容。リンクを降りると2人で抱き合った。スコアは186.20点で、合計274.90点だった。

 その後の選手のスコアが伸びなかったこともあり、佐藤は大逆転でメダルが確定。最終滑走の世界王者マリニンも得点が伸びず、驚きの結末となった。佐藤は結果が出ると鍵山と抱き合って歓喜し、涙を流して喜んだ。

 佐藤は「言葉がない。表彰台に乗れるとは」と驚きつつ、「頑張って来てよかった。実感はまだわいていなくて、今でも幻なんじゃないかと思う」と喜んだ。

 共に戦った鍵山、三浦の存在が大きかった。「2人からたくさんの刺激をもらって、2人には感謝です」。また日下コーチに対しても感謝の言葉を述べ、「練習から先生に相談してやってきた。SPの失敗があったが、引きずることなく、フリーでほとんとノーミスの演技ができた。楽しかったです」と振り返った。

 将来を嘱望され続けた逸材が、ついにメダルにたどり着いた。最大の武器は鋭い回転の4回転ジャンプ。最大の武器である大技ルッツをこの日も決め、表彰台へ駆け上がった。「出場するのが目標ではない。自分らしい演技をすることが一番」。その言葉通りの内容だった。

 仙台市出身。五輪連覇の羽生結弦さんを輩出したアイスリンク仙台で競技を始めた。幼少期に東日本大震災を経験。リンクの使えなくなった震災直後、当時の指導者たちが未来の才能がつぶれないように埼玉の浅野敬子、日下匡力の両コーチの元に託した。仙台に戻り、全日本ノービス4連覇。14年ソチ五輪で羽生さんが滑る姿をテレビで見て、初めて五輪を知った。

 父の転勤で中3春に拠点を埼玉に移し、その後は日下コーチと二人三脚。トーループ、ルッツと4回転を習得していき、19年にはジュニアGPファイナルを制覇。シニア転向後は負傷などもあり、雌伏の時は続いたが、不平不満は一切言わなかった。

 4年前、北京五輪で日本代表が躍動する一方で、佐藤は病床にいた。脱臼した左肩を手術。その後3~4カ月は滑れず、ジャンプの練習を再開したのが半年後。「4年間、できることを一つ一つやって、夢の舞台に立てることができてうれしい」。決して雄弁にものを語るタイプではない。ミラノで示した演技に、佐藤の道のりが詰まっていた。

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