元横綱・曙太郎さんの葬儀しめやかに 高見山、小錦、武蔵丸…ハワイ出身の力士仲間ら参列

[ 2024年4月14日 18:00 ]

都内で葬儀が営まれた曙太郎さんの祭壇
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 54歳で死去していたことが11日に分かった大相撲の元横綱・曙太郎さんの葬儀が14日、都内の斎場でしめやかに営まれた。

 祭壇中央の遺影は、若かりし頃の姿。両隣には、現役最後の優勝となった2000年九州場所と同年名古屋場所の優勝額も飾られていた。棺には、ハワイ州の旗が掛けられていた。

 入門時の師匠で元関脇・高見山の渡辺大五郎さん(79)や元大関・小錦八十吉(60)、武蔵川親方(元横綱・武蔵丸)といった同郷・ハワイ出身の元力士、同期生の浅香山親方(元大関・魁皇)、花田虎上(元横綱・若乃花)、佐渡ケ嶽親方(元関脇・初代琴ノ若)、大関・琴ノ若ら多くの相撲関係者も参列した。

 ライバルとしてしのぎを削った花田虎上氏は「立ち上がってくれと思った。友でもあるし苦しい時から一緒にいたライバル。言葉で表せない存在ですね。年取ってからハワイで会おうって話してたけどかなわなくてつらかった。(顔を見て)つらい状態だったから解放されて、ゆっくりしてほしいです」と声を絞り出した。

 小錦は沈痛な面持ちで「(思い出は)たくさんありすぎて、40年の付き合いだから一言で終われないよ。歴史に残る力士でした。今では当たり前に外国人出身力士が活躍する時代になったのも…ハワイ勢がよく頑張ってくれました」と追悼。

 元高見盛の東関親方は「いろんな意味で大きかった人ですね。一言では言えないぐらい、心も大きい人でした。言葉に出さない人だけど行動で教えてくれた。(最後に顔を見て)体が小さくなっちゃって、切ないです…しゃべりたいこといっぱいあったけど、ありがとうの一言しか言えませんでした」と声を震わせた。

 同期の浅香山親方(元大関・魁皇)は「入った頃から体が大きくて稽古するのが怖かった。でもすごい優しい人でした。同期会でもいつも周りに気を使ってもらって優しい横綱でした。お互い元気な姿で会いたかった。ゆっくり休んでもらいたいなと思います」と偲んだ。

 また、八角理事長(元横綱・北勝海)を始めとする角界関係者、高田延彦や武藤敬司ら多くのプロレス関係者も含む約70人から供花が届けられた。

 曙さんは1969年5月8日にアメリカ・ハワイオワフ島で生まれ、18歳で来日。同郷の元関脇・高見山が師匠を務める東関部屋に入門し、のちの横綱・若乃花や貴乃花らと同じ「花の六三組」として1988年春場所で初土俵を踏んだ。90年春場所で新十両昇進、同年秋場所で新入幕。92年名古屋場所で新大関昇進。93年初場所後、外国出身として史上初の横綱昇進を果たした。96年4月に日本国籍を取得。本名を「ローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオ」からしこ名と同じ「曙太郎」に改めた。2000年九州場所で11度目の優勝を果たし、翌場所を休場して01年初場所限りで現役引退を発表した。

 03年11月に日本相撲協会を退職。K―1への電撃参戦を表明し、03年大みそかのボブ・サップ戦で格闘技デビュー。05年からプロレスに転向し、その後はプロレスラーとしても活躍。17年4月からは入院生活が続いていた。

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