小平 10月地元・長野で「ラストレース」35歳が涙の決意、“引退”の表現使わず

[ 2022年4月13日 05:30 ]

10月のレースを最後に現役を引退する意向を表明した小平(撮影・小海途 良幹)
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 18年平昌五輪スピードスケート女子500メートル金メダルの小平奈緒(35=相沢病院)が12日、長野市内で会見を開き、22~23年シーズンの開幕戦となる10月の全日本距離別選手権(長野市エムウェーブ)を最後に現役を引退する意向を表明した。10年バンクーバー五輪から2月の北京五輪まで4大会連続で五輪に出場。一時代を築いたスプリンターは半年後に地元のリンクで最高の空間をつくり、一線を離れる青写真を描いた。

 わずかに声を震わせながら小平が切り出した。「私、小平奈緒は今年10月の全日本距離別の500メートルを競技人生のラストレースとすることを決意しました。長い人生、スケートだけで終わりたくない。次のステップに進み、人生を彩り豊かにしたい。人生を進めるには、いい頃かなと考えた」。時折、目に涙を浮かべながら「アマチュアスポーツに引退はない」と“引退”の表現は使わなかった。

 初出場の10年バンクーバー五輪団体追い抜きで銀。18年平昌五輪では500メートルで金、3連覇が懸かった地元開催で2位に終わり涙を流すライバルの李相花(韓国)を抱き寄せるシーンが感動を呼んだ。1000メートルも銀を手にし、同4月に紫綬褒章を受章。日本記録を持つ500メートルは16~19年に国内外37連勝。世界スプリント選手権は17、19年に総合制覇、世界距離別選手権500メートルは17、20年に優勝。W杯五輪個人種目で日本歴代最多に並ぶ通算34勝を500メートルと1000メートルで挙げた。

 2月の北京五輪は連覇を狙った500メートルで17位、1000メートルも10位に沈んだ。1月に右足首を捻挫した影響だったが、今季W杯500メートルは10レース中7回表彰台に上がり、種目別総合2位。昨夏から引き際を意識しており、世界トップ水準のままリンクを去る。現役選手として地元の人々と触れ合う期間をつくるため、最後のレースは半年後にした。10月まで練習を積みつつ講演活動なども行う予定。引退後も「トップスポーツに関わるより、地域に貢献できたら」と青写真を描く。

 最後の舞台に選んだ長野市エムウェーブは練習拠点。五輪を目指す契機となった98年長野五輪が開催された場所でもある。右足首の回復は順調で、自主トレも開始。会見前も約3時間練習した。小平は独特な言葉の選択から“氷上の詩人”と評され、普段からレースや大会を「作品」「発表会」と表現する。「最後に自分のスケートを表現したい場所はやはり地元。心が動かされる空間をつくりたい。競技を最後までやり遂げたい」。締めくくりの発表会へカウントダウンが始まった。

 ▼日本スケート連盟橋本聖子前会長 (平昌冬季五輪で)銀メダルの選手と健闘を称え合うシーンは、世界中に感動を届けました。小平選手の功績と人間力に敬意を表し、深く感謝いたします。今後一層のご活躍をお祈りしています。

 ▼高木美帆 本当に寂しくなっちゃうという素直な気持ち。決断を応援したいという気持ちもある。今ではなく全日本距離別選手権まで進むという決断をとられるのも、(小平)奈緒さんらしくて凄いと思った。

 【小平 奈緒(こだいら・なお)】
 ☆生まれ 1986年(昭61)5月26日生まれ、長野県茅野市出身の35歳。3人姉妹の末っ子。姉の影響で3歳からスケートを始める。1メートル65、60キロ。血液型A。
 ☆高校 伊那西高時代は宮田スケートクラブに所属。自転車で天竜川の堤防を全力で上り、河原、竹やぶ、農道をダッシュして鍛えた。
 ☆信州大 高校卒業時に実業団の誘いを断り、競争率6倍の受験を突破して信州大教育学部へ。教員免許を取得した。現在もナショナルチームに所属せず、信州大時代から師事する結城コーチの下で滑りを磨く。
 ☆留学 14年ソチ五輪後から2年間、オランダ留学。牛舎を改造した小屋で生活し、フォームを改良した。重心を下げつつ肩はつり上げる滑りは「怒った猫」をイメージ。
 ☆山登り 幼い頃から父に連れられて山に登り、南アルプスで足腰を鍛えた。山菜探しが得意で、毒キノコを判別できる。
 ☆古武術 古武術を習い、重心を歯に乗せないと転ぶ一本歯のゲタでバランス感覚を養う。スタートで体を沈める独特の体勢は古武術の動きを応用。
 ☆座右の銘 「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」(ガンジー)

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