新関脇86年ぶり!若隆景が初V 大横綱・双葉山以来の快挙 震災時、避難生活支えた荒汐部屋に恩返し

[ 2022年3月28日 05:30 ]

大相撲春場所・千秋楽 ( 2022年3月27日    エディオンアリーナ大阪 )

初優勝し、賜杯を手にする若隆景
Photo By 代表撮影

 新関脇の若隆景(27=荒汐部屋)が12勝3敗で並んだ平幕・高安(32=田子ノ浦部屋)との決定戦を制し、初土俵から5年で初優勝を果たした。本割では大関・正代(30=時津風部屋)に寄り切られたが、決定戦では土俵際で驚異の粘りを発揮し勝利した。先場所の御嶽海(29=出羽海部屋)に次ぐ2場所連続の関脇優勝で、新関脇では後に不世出の大横綱となる双葉山が制した1936年夏場所以来86年ぶりの快挙となった。11年前に東日本大震災に見舞われた故郷・福島に50年ぶりの優勝を届けた。

 絶対に諦めない気持ちと家族への思いが絶体絶命のピンチを救った。決定戦。若隆景は高安の猛攻に俵に詰まったが、相手のまわしにかかった右腕が命綱になった。上体をのけぞらせながら踏みとどまると、起死回生の上手出し投げ。高安が前のめりになって先に土俵を割った。観客席からは母・文子さんら家族が歓喜の拍手。「いい姿を見せたいという思いもありました。思い描いている相撲が15日間取れたかな」と孝行息子は感無量の面持ちだ。高安と2敗で並んで迎えた千秋楽。本割では先に高安が敗れ、若隆景も正代に敗れた。「心境は変わらなかった。一生懸命取ることだけ考えていた」。初優勝の重圧の中、常にテーマに掲げる「集中力」を維持し入門から5年で賜杯を抱いた。新関脇での優勝は双葉山以来86年ぶりの快挙だった。

 1メートル81、130キロ。力士としては小柄な部類に入る体を支えたのは「研究心」だった。父・政志さんは話す。「いつも相撲が終わると勝っても負けても、修正点を見つけている。その積み重ね。常に高いレベルを目指す志が強い子」。幼少の頃はテレビ観戦する父の話し相手だった。「相撲が一番好きだった。練習も、やれと言ったらやめろというまでやる。自分の相撲を考えて工夫していくような感じだった」。アマ時代は右四つだったが、プロで力負けすると突き押し主体に変えた。前への圧力を高めるため「おっつけ」を強化する必要を感じ地道に鍛錬した。3代目若乃花ら過去の名力士の取組も入念に研究。左右のおっつけ主体に下から押し上げる「勝利の方程式」を習得した。

 学法福島高在学中の2011年3月11日、東日本大震災が起きた。福島第1原発の事故で危険が及んだため、父が運転する車で東京を目指した。兄がいる荒汐部屋での約1カ月の避難生活。寂しい思いを和らげてくれたのは部屋の力士、先代師匠(元小結・大豊)らだった。11年後、恩返しを果たし「まだまだ復興が進んでいない所もある。自分が土俵で精いっぱいやっている姿を届けたいです」と福島愛を誓った。

 新関脇場所で12勝を挙げ大関昇進への足掛かりを得た。夏場所の成績いかんでは昇進の可能性も浮上。小結が最高位で幕内優勝に届かなかった祖父・若葉山を超えた「相撲の求道者」は「これからが大事です」。いつも通り短い言葉で結んだ。

 【若隆景 渥(わかたかかげ・あつし)】☆本名 大波 渥(おおなみ・あつし)
 ☆生年月日 1994年(平6)12月6日生まれ、福島市出身の27歳。
 ☆サイズ 1メートル81、130キロ。
 ☆相撲一家 祖父は元小結の若葉山、父・政志さんは元幕下・若信夫で福島市内でちゃんこ店「若葉山」経営。長男は幕下・若隆元、次男に幕内・若元春。
 ☆相撲歴 小学1年から県北相撲協会で始める。学法福島高から東洋大。高校3年時に世界ジュニア個人中量級2位。4年時のインカレで個人準優勝。
 ☆プロ入り 荒汐部屋に入門し、17年春場所に三段目100枚目格付け出しで初土俵を踏む。
 ☆新十両 18年夏場所。
 ☆新入幕 19年九州場所。
 ☆実況泣かせ 「か」が3回も続き、アナウンサーどころか本人もかんでしまう。元NHK相撲実況のレジェンド、杉山邦博氏は「間違いなく相撲史で最も言いにくいしこ名です」と認定。
 ☆得意 右四つ、寄り。
 ☆趣味 海外ドラマや映画などのDVD観賞。
 ☆家族 沙菜夫人と1男3女。

 【優勝アラカルト】☆福島県出身 1972年初場所の初代栃東(元関脇、先代玉ノ井親方)以来、50年ぶり。時津山、栃東に続いて3人目。
 ☆新関脇 1936年夏場所の双葉山以来86年ぶりで、1場所15日制となった49年夏場所以降では初。双葉山は若隆景の祖父の元小結・若葉山の師匠でもある。
 ☆荒汐部屋 先代師匠(元小結・大豊)が02年6月に創設して以来初。
 ☆東洋大 先場所の御嶽海に次いで2人目。

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