柔道女子五輪代表・芳田 初体験コロナ下海外遠征でなぜ結果出せた?ドーハ開催マスターズ大会の舞台裏

[ 2021年2月23日 05:30 ]

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ドーハで行われたマスターズ大会の消毒の様子(蒲原氏提供)
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 【THE TOPICS】東京五輪の柔道女子57キロ級代表の芳田司(25=コマツ)は、1月にドーハで開催されたマスターズ大会で1年1カ月ぶりの実戦復帰を果たし、見事優勝を飾った。大会は新型コロナウイルス感染拡大後、初めて全日本柔道連盟(全柔連)が選手を派遣した国際大会だった。出発前からさまざまな制約を受けた中で、結果を残せた理由に迫った。

 (1)PCR検査計6回 出発直前、緊張が走った。東京都などに2度目の緊急事態宣言が発令されることが決まり、全柔連が選手派遣の可否について検討に入った。自粛期間や厳しい行動制限がある中で稽古を積み、ようやくこぎ着けた実戦の場が失われるかもしれない。結局、出発前日の夕方にゴーサインが出たものの、芳田は「不安でした」と振り返った。

 遠征前後を含め、受けたPCR検査は計6回。中でも「一番緊張した」のが、出発日の1月7日、選手団が集合した成田空港で受けた2度目の検査だったという。直前の1月3日にはバドミントン男子の桃田賢斗に陽性反応が出て、20人以上が参加予定だったタイ遠征が中止になっていた。「自分一人だったらまだいい。自分が陽性になり、みんなが行けなくなったら、と考えるのがストレスだった」。非常時の遠征は、平時はない精神的重圧との闘いでもあった。

 (2)ホテルの広さ活用 逆に現地到着後は、出発前のシミュレーションや事前の準備が奏功したという。練習会場で1日に与えられる時間はわずか50分。「普段は2時間は(練習を)する」という芳田は、ホテルの自室でウオーミングアップを行った。この時役立ったのが、あらかじめスマホに入れていたトレーナーによる見本動画だ。部屋も「今まで泊まった海外のホテルで一番広かった」といい、十分体を温められたことで貴重な50分間を有効に使うことができた。

 (3)3カ月かけて減量 減量でも細心の注意を払った。そもそもが1年1カ月ぶりの実戦であり、減量も久しぶり。「少し太っていた」という体を、普段の3倍となる3カ月をかけてじっくりと絞った。現地到着後も十分に体を動かせないことを想定し、58キロ程度まで落として渡航。「減量もそうだが、前もっての準備が大切だと実感した」と身をもって体験したことは、今後にも生かされるだろう。

 (4)コロナ対応マネジャー 今回の遠征で芳田ら選手団の大きな支えとなったのが、国際柔道連盟(IJF)が各国に同行を義務付けたコロナ対応マネジャーの存在だった。IJFと選手の間に入り、感染症に関するさまざまな情報の伝達を行うのが役目。全柔連は長らく国際課で勤務していた蒲原光一氏(43)をその任に指名。同氏は「円滑なコミュニケーションを取ることを心掛けた」と遠征中の心境を明かした。

 蒲原氏によれば、現地入り後のPCR検査はタイミングに変更があった。当初は計量日の朝に実施予定だったが、結果が出るまでに時間を要したため、急きょ計量24時間前に変更されたという。そうした情報も素早くキャッチし、選手に伝えた。想定外の影響を最小限に収め、選手が試合に集中できる環境を整えた。芳田も「いなかったらまずかった。随時、いろんな情報をもらい、何も違ったことはなかった」と感謝する。選手の勝利は柔道ニッポンの総合力の勝利でもあった。

 今なお、今夏の開催が揺らぐ五輪。芳田は言葉を選びながらも、「みんなが苦しい状況で、スポーツがみんなを元気にさせる一つでありたいと思う」と願う。大会は無事に3日間の日程を終え、日本選手団に陽性者は出なかった。幾多の障害を乗り越えた大会は、今夏に向けても一筋の光となるはずだ。

 ◆芳田 司(よしだ・つかさ)1995年(平7)10月5日生まれ、京都市出身の25歳。両親の勧めで小2から京都・円心道場で柔道を開始。中学3年間は神奈川の相武館吉田道場に入門。福岡・敬愛高から14年4月にコマツに入社。同年11月の講道館杯でシニア大会初制覇。初出場した17年世界選手権で準優勝、18年に初優勝。19年は準優勝だった。1メートル56。左組み。得意技は内股。

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