リオ銀、陸上・飯塚 世界旅してかけっこ対決 アフリカの小国エスワティニでも教室開催

[ 2021年2月23日 05:30 ]

2020+1 DREAMS

陸上短距離の飯塚翔太(右から3人目)はエスワティニの子どもに陸上競技を開いた(本人提供)
Photo By 提供写真

 【THE TOPICS】日本陸上界の歴史の中でも、アフリカ大陸南部の小国エスワティニで「陸上教室」を開いたのは飯塚翔太(29=ミズノ)だけだろう。日本から片道約20時間。16年リオデジャネイロ五輪男子400メートルリレー銀メダリストは18年9月、首都ムババーネの小中学生と草の上を駆け回った。

 「世界中、子供の反応って同じだなって思いました。競走しようって。勝ちたいからハンデをくれ。もっと後ろから走ってくれって言ってくるのも、日本と同じです」

 運動靴を履く子はほぼいない。現地の子供がまず買うのは、登校用の革靴。お金がなければはだしだ。革靴か、はだしという日本では考えられない格好は、スポーツが根付いていない証拠だった。持参したバトンでリレーもした。言葉は分からない。しかし、「スポーツの力を凄く感じました」と、走る楽しさを共有した。

 訪問の理由は13年のユニバーシアード(ロシア)男子200メートルで知り合った友人が同国にいたからだ。シブシソ・マツェンジワ(32)は、12年ロンドン五輪出場のエスワティニ(当時はスワジランド)を代表するスプリンターながら、メーカーから用具提供すら受けていなかった。「自分は恵まれている」。人柄にもほれ、大会中にシューズを手渡した。以後、世界大会のたびに、用具類を余分にスーツケースに詰めた。

 交流は続く。昨年1月、マツェンジワが来日。コロナ禍がなければ、今年も日本で合宿をする予定だった。スマホを通じて、英語で週に何度も連絡を取り合う。「あのバトンでリレーをしているよ」。スポーツ途上国にまいた“種”のその後を知り、心が躍った。

 18年の陸上教室は、マツェンジワとの合宿の延長線上で実現したものだった。経由地の南アフリカ・ヨハネスブルクの日本人学校で教えた。19年12月には米シカゴの日本人学校へ足を運んだ。国内では年間20~30回、陸上教室に出向く。指導だけでなく、いつも行うのは「かけっこ対決」だ。丁寧なファンサービスを含め、交流は自身にとって「競技のパワーをもらえる」という。五輪銀メダルは可能な限り披露する。そして伝える。「次は金メダルを持ってくる」と。

 高い目標は、自分自身に重圧をかけるためだ。東京五輪は200メートルと400メートルリレー代表を狙う。最近2年間は100メートルにも力を入れたことで、200メートルにつながるスタートダッシュの課題が見えてきた。この冬は太腿前部を強化。「そこが弱かったのでうまく脚が前に出なかった」。16年に出した20秒11の自己記録更新へ手応えをつかんだ。

 今夏の祭典は30歳で迎える。残りの競技人生を意識する年齢だ。やりたいことがある。「陸上教室は、教えるより、一緒に走った方が子供に喜んでもらえるんです。現役バリバリの間に、競走をしたいです」。世界中でかけっこ対決を――。陸上ファンを増やす旅を続けるため、有言実行を目指す大舞台が近づいている。

 ◆飯塚 翔太(いいづか・しょうた)1991年(平3)6月25日生まれ、静岡県御前崎市出身の29歳。小3で競技を始め、静岡・藤枝明誠高―中大―ミズノ。10年世界ジュニア選手権200メートル優勝。12年ロンドン五輪、16年リオデジャネイロ五輪出場。日本選手権200メートルは4度優勝。100メートルも10秒08の自己記録を持つ日本を代表するスプリンター。静岡名産の緑茶を飲むことが息抜き。1メートル85、80キロ。

続きを表示

この記事のフォト

2021年2月23日のニュース