北の富士VS貴ノ花 行司差し違い…「つき手、かばい手論争」起こした一番

[ 2020年5月7日 07:00 ]

昭和47年1月16日、初場所8日目の北の富士と貴ノ花の取り組み
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 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~大相撲編~】昭和、平成の名場面を本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」。大相撲編第3回は1972年(昭47)1月16日、東京・蔵前国技館で行われた初場所8日目の横綱・北の富士―関脇・貴ノ花戦です。後に「つき手、かばい手論争」を呼ぶことになった、歴史に残る一番となりました。

北の富士に足を掛けられ
体勢を崩した貴ノ花は
背中から倒れそうになる。
弓なりになってこらえると
上半身を左にひねり
逆転のうっちゃりを狙う。
先に土俵についたのは
横綱の右手。
立行司の木村庄之助は
迷わず貴ノ花に軍配。
その直後
審判から物言いがついた。

ケガを避けるために
先に手をついたのであれば
「かばい手」で
負けにはならない。
問題は貴ノ花の体(たい)が
生きているか否か。
庄之助は
「貴ノ花は体をねじっており
体は死んでいなかった。
爪先はまだ
地面に着いていた」と主張。
確かに、写真の貴ノ花の右足は
しっかり土俵の砂をかんでいる。
協議は異例の5分に及ぶ。
結果は行司差し違い。
春日野審判長(元横綱・栃錦)は
「北の富士の右手は、かばい手。
貴ノ花の体はなかった」
と説明した。
しかし、それに納得できない
ファンのブーイングが
館内を飛び交い
協会事務所には
抗議電話が殺到した。

翌日、庄之助は
千秋楽までの謹慎処分を言い渡され
辞表を提出し受理される。
当時の世論は庄之助に同情的で
今でもその裁定を
支持する声は少なくない。

 《NHKの名解説者・玉の海さん「貴ノ花の下半身にはもう一つの命がある」》貴ノ花は取組後、支度部屋で「俺の体は死に体ではなかった」と悔しさをにじませた。一方の北の富士は「かばい手のつもりで右をついた。ダメを押したら相手を壊しちゃう」と主張。そして「貴ノ花はやはりしぶとい。ダメを押さないといけないな」と詰めの甘さを悔いた。貴ノ花の驚異的な下半身の粘りが生んだ伝説の一番。NHKの名解説者だった玉の海さんは、その足腰の強さについて「貴ノ花の下半身にはもう一つの命がある」と舌を巻いた。

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2020年5月7日のニュース