ラグビー日本代表初の外国人主将“赤鬼”マコーミック氏 コロナ禍で必要なのは“日本人マインド”

[ 2020年4月13日 10:00 ]

ラグビー日本代表で外国人史上初となる主将を務めたアンドリュー・マコーミック氏
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 新型コロナウイルスの影響で各スポーツ大会は延期や中止が相次ぎ、先行きが見えない状況が続く。幾多の困難を克服し、かつて日本を沸かせたアスリートはこの現状をどうとらえているのか――。99年のラグビーW杯で日本代表初となる外国人主将として奮闘したアンドリュー・マコーミック氏(53)に心の持ち方やあり方を聞いた。

 
 母国ニュージーランドは3月26日から4週間のロックダウン(都市封鎖)に入った。大学3年生になる長男が現地で暮らしている。ひとりの父親としても気をもむ毎日が続く。世界を襲う、未曽有の危機。この難局を乗り切るために――。かつて赤鬼と形容された、元ラグビー日本代表のカリスマは力強いメッセージを添えた。

 「We are together. Let’s show humility」

 私たちは一緒です。今こそ謙虚な姿勢をみせましょう――。シンプルだが、力強い言葉に思いを込めた。カンタベリー州代表に選出されるなど楕円球の本場でもまれた。祖父、父はかつてオールブラックスの一員だったラグビー一家だ。縁があって93年から東芝府中(現・東芝)でプレー。慣れない異国の地で主将も務め、日本選手権の3連覇に貢献した。ビールのつぎ方をはじめ、常に相手を思いやる日本流の対人関係術に来日当初から感銘を受け、実践してきた。

 「まず、相手のことを考えることができるのが日本人の素晴らしいところ。みんなのことを考えるマインドが今は大切な時期でしょう。お互いの状況を理解することが大事なんじゃないかな」

 新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した志村けんさん(享年70)のニュースに日本中が悲しみに暮れた。人気コメディアンの死で、この見えない敵の恐怖をさらに感じた人も少なくないだろう。来日当初、志村さんのコント番組を日本語習得のツールとして活用していたマコーミック氏にとってもショッキングな出来事だった。「日本語の勉強にもなったし、おもしろい方だった。妻も好きでね」と声を詰まらせた。

 99年W杯は日本代表初の外国人主将として奮闘した。熱狂に包まれた昨年のW杯。日本代表を率いたリーチ・マイケルの“先駆け”ともいえる存在だった。ハードタックルと強烈なリーダーシップで今日の日本ラグビー界を支えてきた一人だ。各スポーツ界で中止や延期が相次ぐ。「それは世界的な視野で考えると、小さな問題といえるのかもしれない。まず、あなた自身が健康でいること。それが第一です」。アルコール消毒の匂いが残る両手に力を込めた。
 
 ◆アンドリュー・マコーミック 1967年2月5日、ニュージーランド出身の53歳。93年に東芝府中(現・東芝)に加入し、CTBとして96年度からの日本選手権3連覇に貢献。99年W杯は日本代表主将として出場した。通算25キャップ。00年に現役引退し、東芝府中のヘッドコーチ(HC)に就任。02年に現役復帰し、釜石でプレーした。04年に現役引退。09年から11年度までNTTドコモのHCを務め、12年に関学大のHC、16年に摂南大コーチに就任。現在はマネジメント会社「HALOSPORT」の日本GM。

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