追悼連載~「コービー激動の41年」その42 ジャクソンにぶつけた怒り 壮絶な内部対立

[ 2020年3月29日 09:44 ]

21歳のころの故ブライアント氏(AP)
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 2004年1月7日のナゲッツ戦。91―113でレイカーズは敗れた。シャキール・オニールもカール・マローンも故障で不在。フィル・ジャクソン監督は後半からコービー・ブライアントのポジションを2番(シューティング・ガード)から3番(スモール・フォワード)に変更してカーメロ・アンソニー(現トレイルブレイザーズ)のマークを任せたが、こともあろうにブライアントはそのアンソニーにパスをインターセプトされて試合をぶち壊した。

 そしてタイムアウトで指揮官に「あんなパスをするんじゃない」と咎められた彼はとんでもない言葉を口にしてしまった。

 「そうですね、あなたは彼ら(レイカーズのチームメート)にオフェンスのやり方を教えてやったほうがいい」。

 もしあなたが当時のレイカーズの選手で、このタイムアウトでブライアントにこんなことを言われたらどう思うだろう?しかもこの日は、ここまで一生懸命に練習してきたガードのジャネロ・パーゴが解雇され、全員が靴や練習着に彼のイニシアルの「JP」を記して臨んだ試合。チーム一丸となって苦境を乗り切ろうとした試合なのに…である。天国にいるブライアントはそれでも反論するかもしれないが?当時の関係者の証言をまとめてみると、彼の孤立化していた姿が浮かび上がってくる。

 ジャクソンは「言葉に気をつけろ」と注意。しかしブライアントは聞く耳を持っていなかった。責任転嫁。誰もがそう思う。カリーム・ラッシュ、ルーク・ウォルトン(現キングス監督)、ディビーン・ジョージといった当時の若手選手は「これがファイナルを制したチームなのか」と首をひねったことだろう。

 ブライアントの長所は絶対に妥協を許さず自分をとことん追い詰めて最大限の力を発揮するところだが、一方で他の選手との協調性には欠け、サポーティング・キャストとも呼ばれる控え選手を遠くに追いやってしまうところが欠点でもあった。本人も「自分は最初のころあまりにも探求心が強くて、彼(ジャクソン)にはそこをわかってもらえなかった」と語っているので、両者はお互いを理解しあえるような状態ではなかった。

 この敗戦をふまえてのチーム・ミーティングでブライアントは遅刻してやってきた。しかもすぐにロッカールームで携帯電話をかけ始める。ジャクソンは心理カウンセラーの指導を受けていたのでこんな局面であってもキレたりはしなかった。

 「それがガス抜きになるならいた仕方ない」と受け入れたのである。だがそのあと「選手に怒鳴るのはやめてくれ。君は他の選手を不安にさせる唯一の選手だ」と核心をつく言葉だけは発している。ところがこの指揮官の一言に対して返ってきた言葉は「冗談じゃありませんよ」。監督と選手のやりとりとはとても思えないが、2003~04年シーズンのレイカーズは、こんな言葉が日常的に飛びかっていたのである。

 ジャクソン1人ではおそらくブライアントには勝てなかった。だがブライアントに相棒がいなくてもジャクソンにはいた。そこが両者の違う側面でもあった。勇気ある1人の男がこんな声を上げる。「いい加減にしろ!」。それがアシスタントコーチ(AC)だった当時56歳のフランク・ハンブレン。それはかなりの大声だったそうだ。

 「いいか、オレたちはキャンプで手抜きをしない“協定”を結んだはずだ。バスケの神様にしっかりと見守ってもらえるようにな。なのに何だ、このザマは。コービー、遅れてきたお前が悪い。いいか、パーゴはきのうクビになったんだぞ。そんな人間が毎日、バスケの神様に忠実に従っていたんだ。自分が同情するならお前ではなく彼に対してだ」。

 真の“参謀役”とはこういう人のことを言うのだろう。ジャクソンは「ハンブレンの言葉にはインパクトがあった」と振り返っている。このあとビデオルームにコーチ陣が集まったあと、ブライアントも顔を出した。もちろん「公式の謝罪」はない。それでもロッカールームで起きかけていた心ない言葉による内紛は、ハンブレンの言葉によって一時的にではあるが回避された。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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