異文化に寛容な街で育まれた“ジョセフ流” ラガーマン原点NZ「ダニーデン」

[ 2019年4月9日 10:00 ]

練習を見守るジョセフ・ヘッドコーチ(右端)
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 【W杯への鼓動・第1回】9月20日開幕のラグビーW杯日本大会に向け大型連載がスタート。初回は日本代表を統率するジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(49)の足跡にスポットを当てる。異文化に寛容で自由な街ニュージーランド・ダニーデンから同国代表のオールブラックスへと出世。指導者としてのアプローチ法にもつながる原点とは――。

 ◆同地名門大からオールブラックスへ
 ラグビー王国ニュージーランド。南島の南東部に位置する人口約12万人のオタゴ地方ダニーデンで「ジェイミー・ジョセフ」は誰もが知る存在だ。現役時代はオールブラックスとして活躍し、指導者では地元ハイランダーズをスーパーラグビー初優勝に導いた。日本代表の指揮官は、この地で過ごした時間を懐かしそうに振り返る。

 「ラグビー人としていろいろ学び、育った土地。男として、大人としての責任をどう取るかを学び、ミスを受け入れることも学んだ。人間的に成長し、オールブラックスにふさわしい人間になれた」

 ダニーデンは19世紀中期、スコットランドをはじめとした世界各地の移民によって栄えた。異文化に寛容で自由なカラーの街は現在、人口の2割を学生が占める学園都市だ。マールボロ地方ブレナム出身のジョセフ氏は、この地にある名門オタゴ大へ進学。在学時はタフなコーチに鍛えられながら「私生活の方も、いろいろ(笑い)」と充実した学生生活を送ったという。

 オタゴ地方代表からオールブラックスへと出世する際、指導者にも通じる能力も身につけた。大学卒業後の89年、ダニーデンの地ビール「スペイツ」の営業職として数年、働いた。会計やセールスに携わり、失敗や成功を重ね、マネジメントとは何かを理解していく。後に、同社の直営レストランとフランチャイズ契約し、友人と共同経営で北島のウェリントンに出店。全国区のビールへと成長する足がかりをつくった。愛するビールのために貢献したことは、地元でもあまり知られていない。

 ◆ファミリーのため…名交渉役の一面も
 同大、同地方代表、サニックス(現宗像サニックス)でともにプレーした元スコットランド代表のジョン・レズリーさん(48)は「彼は交渉事が得意。家族からポーカーを習い、人を操ることを学んだと聞いた」と語る。レズリーさんの印象に残っているのはプロ化が進む95年、ジョセフ氏が日本へ移籍する際の出来事だ。「彼は日本に行くというのに、国内に残る私たち友人のために交渉役を買って出て、(各チームと)よりよい条件の契約を結んでくれた」。昔からファミリーのために一肌脱ぐ優しい男だった。

 異文化に寛容な街ダニーデンで育ったジョセフ氏は、ソフトな指導法を好む。一人一人と対話を重ね、より深く理解しようと努める。日本代表としても活躍した名FWはサニックス時代、頻繁に日本料理店へ通った。厨房(ちゅうぼう)を食い入るように見つめ、寿司や刺し身、しゃぶしゃぶやラーメンなど日本食の調理法を見よう見まねで覚えたほど。それぞれの文化や個性を尊重する姿勢は、今も変わらない。

 自国開催のW杯で8強を目指す日本代表は出身やルーツ、生きてきた道は多様。だが、その全てを理解しようとし、独自色を出そうと身を削る。そんな懐の深い指揮官が束ねる個性派集団は、こよなく愛するスペイツ・ビールのように深みと切れがあるはずだ。

 ◆日本代表候補合宿の地 中華料理に舌鼓で結束
 日本代表候補は3月後半からダニーデンで合宿を張った。今月2日には指揮官の自宅近くの中華料理店で「チーム・ディナー」を開催。指揮官自ら調達した地元の魚ブルー・コッドなどに舌鼓を打った。同遠征で主将を務めたNo.8の姫野は「ジェイミーが張り切っていて、おもてなしをしてくれた。この街が好きという気持ちが伝わった」と語った。従業員によると、チームソング「ビクトリー・ロード」も歌い、大いに盛り上がったという。“ダニーデンの夜”を経て、ジャパンの結束はより強固になった。

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