真央 突然の引退発表 ブログに「目標も気力もなくなった」、12日会見

[ 2017年4月11日 05:30 ]

ソチ五輪の女子フリーで会心の演技を見せた浅田真央
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 フィギュアスケート女子で世界選手権を3度制し、10年バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した浅田真央(26=中京大)が10日、自身のブログで現役引退を表明した。18年平昌(ピョンチャン)五輪を目標にしていたが、昨年末の全日本選手権で自己ワーストの12位に終わり、目標と気力を失ったことが決断の理由と説明。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を武器に数々の伝説を残してきた浅田が、勝負のリンクに別れを告げた。

 日本フィギュア界に数々の伝説を残し、国民的な人気を誇った浅田が、大きな決断を下した。10日夜に「ご報告致します。」というタイトルで自身のブログを更新。「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました」。5歳でスケートを始めて21年。平昌五輪シーズンを前に、ついにリンクに別れを告げる時が来た。12日に会見を開く予定だ。

 ジャンプの軸足となる左膝に不安を抱え、今季は不振にあえいだ。昨オフには関係者に膝の痛みを訴えていたが、それでもシーズンに入ってから実戦で封印していたトリプルアクセルを練習で何度も跳ぼうとした。しかし精度は上がらないまま。そして、昨年末の全日本選手権が引退決断の最大の理由となった。

 佐藤信夫コーチが「無謀」と評した状態で迎えた大技をショートプログラム、フリーでともに挑戦して自己ワーストの12位に沈んだ。演技後は「来季も挑戦する意思に変わりはないか」と問われ「そうですね、はい」と現役続行に意欲を見せていたが、厳しい現実と向き合うと心は変わった。「全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました」と説明した。

 小学6年生で初めてトリプルアクセルに成功。大技を武器に、リンクで輝きを放った。05年はGPファイナルで優勝しながら、国際連盟の年齢制限のために06年トリノ五輪に出場できず。10年バンクーバー五輪はショートプログラム(SP)とフリーで計3度のトリプルアクセルを決めながら同い年のライバル・金ヨナ(韓国)に及ばず、悔し涙を流した。

 11年12月9日には最愛の母・匡子(きょうこ)さんを亡くした。深い悲しみを抱えたまま2週間後の全日本選手権で優勝。13年4月にはソチ五輪シーズンを最後に引退する意向を示した。ソチでは6位に終わったが、SP16位から完璧なフリーで日本中を感動させた。進退を「ハーフハーフ」とし、14―15年シーズンを休養。昨季、復帰したが、「自分が望む演技や結果を出すことができず、悩むことが多くなりました」と明かした。

 目指していた3度目の夢舞台には届かなかったが「私のフィギュアスケート人生に悔いはありません」とした。そして、メッセージをこう締めくくった。「これは、自分にとっての大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました」。勝負のリンクを離れてもきっと浅田の輝きは変わらない。

 ◆浅田 真央(あさだ・まお)1990年(平2)9月25日生まれ、愛知県名古屋市出身の26歳。5歳のときに姉の舞と一緒にスケートリンクに遊びに行きスケートと出合う。2010年、バンクーバー五輪で女子シングル史上初めて3度の3回転アクセルを成功させて銀メダルを獲得。14年ソチ五輪6位、世界選手権優勝3回(08、10、14年)。14年5月に休養を発表。翌年5月に現役続行を表明。公式戦ラストとなった昨年の全日本選手権は12位だった。1メートル63、47キロ。

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