W杯ジャンプ女子の伊藤の初勝利は高梨にもプラス 平昌では金銀独占も

[ 2017年1月17日 09:00 ]

<W杯ジャンプ女子個人第7戦札幌大会>表彰台で笑顔を見せる(左から)2位の高梨沙羅、初優勝の伊藤有希、3位のマーレン・ルンビー(ノルウエー)
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 【藤山健二の独立独歩】W杯ジャンプ女子第7戦の札幌大会で、22歳の伊藤有希(土屋ホーム)が念願の初優勝を飾った。これまでに2位6度、3位4度の経験はあるが、優勝は初めて。負けた高梨沙羅(クラレ)も自分のことはそっちのけで2つ年上のお姉さんを祝福した。通算49勝の高梨に対し、伊藤はやっと1勝目。だが、この1勝は、高梨にとっても大きな意味を持つ1勝となったに違いない。

 これまで日本の女子ジャンプ界は高梨が築き上げ、高梨が引っ張ってきた。1924年のシャモニー大会から五輪の正式種目に採用されている男子に比べ、女子のジャンプが本格的に行われるようになったのは今世紀に入ってから。五輪種目になったのも前回14年のソチ大会からにすぎない。競技人口も世界で300人程度とされ、国際オリンピック委員会(IOC)が10年バンクーバー五輪での不採用を決めた際にも普及度の低さが問題となった。そんなマイナー種目にすぎなかった女子ジャンプのレベルを一気に引き上げ、IOCに「商売になる」と認めさせた最大の功労者が高梨だった。

 ただ、高梨があまりにも強すぎたため、対等に戦えるような選手が日本国内には存在せず、世間の注目や期待をその小さな体に一身に集めることになってしまった。3年前のソチ五輪では金メダル確実と言われながら、まさかの4位。メダルを逃した最大の要因が不利な風にあったのは事実だが、マイナー種目では異例ともいえる個人スポンサー契約やファン、メディアからの過度の期待が失敗ジャンプの遠因となったことも否定できない。高梨自身も試合後のインタビューで「平常心を保っていたつもりだけど思い通りに飛べなかったのは自分のメンタルの弱さ」と認めている。

 92年アルベールビル五輪と94年リレハンメル五輪のノルディックスキー複合団体で金メダルを獲得した荻原健司氏に以前、「どんな選手でも重圧を感じない選手はいないですよ。私だって試合前は心臓がドキドキして、夜眠れなくなったりしたんですから」と言われことがある。プレッシャーを全く感じさせない圧倒的な強さで、欧州メディアから「宇宙人」と称賛された荻原氏でさえそうなのだから、当時17歳の高梨がどれほど重圧に苦しんだかは想像に難くない。

 だからこそ、今回の伊藤の優勝によって、周囲の期待が二分されるようになるのは高梨にとって大きなプラスとなるはずだ。互いに絶対に負けたくないという「ライバル心」と、どちらかが勝てばみんなが納得してくれるという「安心感」がうまくかみ合えば、2人で金銀独占も決して夢ではない。(編集委員)

 ◆藤山 健二(ふじやま・けんじ)1960年、埼玉県生まれ。早大卒。スポーツ記者歴34年。五輪取材は夏冬合わせて7度、世界陸上やゴルフのマスターズ、全英オープンなど、ほとんどの競技を網羅。ミステリー大好きで、趣味が高じて「富士山の身代金」(95年刊)など自分で執筆も。

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